第二話 『闇にさす光』


 繋いだ手の温もり。
 手を引かれて庭を走る。
 見たことのない景色がすごい早さで後ろへと流れていく。
 息が苦しくなってくる。

 これが走るということ。
 これが息があがるということ。
 書物で知りえた知識が、体験へと変わる。苦しいはずなのに、この息苦しさが嬉しかった。

 彼女はずっと、地下の部屋に幽閉されていた。

 檻ごしに教師から読み書きを学び、3歳になる頃には本棚に並べられた本をすべて読み終えていた。
 閉じこめていることに罪悪感を感じていたのであろう彼女の父親は、それを知るとたくさんの本を贈ってくれるようになった。年相応のものから、大人でも難解な学術書まで。ありとあらゆるジャンルの本が週ごとに入れ替えられ、彼女を飽きさせることはなかった。

 彼女は本で世界を知った。
 空が青いこと、雲が白いこと。
 親は子を愛し、人は人に恋い焦がれること。
 人は夢を抱き、それを叶えることに苦悩すること。
 自分がなぜこの部屋に閉じこめられているのかも。
 すべて本で知った。

 彼女は生誕時の予言で「国を滅ぼす」と詠われた存在。
対となる、国を繁栄に導く存在が育つためには必要だとも詠われたから生かされているだけの子。

 死を迎えるまで、あの部屋の中で、世話係のメイドとたまに訪れる父親と顔を合わせるだけの、それ以外は本を楽しむだけの、淡々とした日々が続くはずだった。 それ以上は望んでいなかった。

 なのに。

「ステルラ、ここに寝てごらん」
 そう言うと、ソルは木陰に寝転んだ。
「ここは、わたしたちのお気に入りの場所なのよ。あなたは、わたしたちのいもうとだから、特別に教えてあげるのよ」
 ルナは得意げに言って、服や髪が汚れるのも気にせず横になる。そして、自分とソルの間を示しながら「さあ、あなたも寝るのよ」と促す。

 体を横たえる。
芝生の匂い。木漏れ日の柔らかさ。?をなでる優しい風。
 一生経験できないだろうと思っていた感覚に、胸がいっぱいになる。言葉が出ない。

「ソル様、ルナ様。お勉強のお時間ですよ」
 彼らの教師の呼びかけに、ソルは飛び起きる。
「今日からステルラも一緒に勉強するよ」
「ステルラ様......?」
 ステルラが体を起こすと、教師と目が合った。教師は何も言わなかったが、その顔は恐怖に彩られていた。

ああ、やっぱり。
私はあの部屋から出てはいけなかったんだ。

 ステルラは立ち上がり、来た道を戻り始める。
 自分がどれだけまわりの者に恐れられているのか、ステルラは知っていた。自分は国を滅ぼすと詠われる程の厄災の子。毎日世話をしてくれているメイドですら、目を合わせず、会話もしないの
 だから。
「ステルラ!どこへ行くんだい」
「部屋に帰ります。私はあそこから出てはいけない。みんなが怖がります」
 歩みを止めず感情なく告げるステルラ。
「ステルラは部屋の外は嫌いだった?」
 彼女の前に立ちふさがり、ソルは問いかける。ステルラは首を横に振って応える。
「みんなが怖がらなければ、ステルラは外にいられるんだね?」
 ステルラの顔を覗きこみ、ソルは確認する。
 彼の青空と同じ色の瞳に何が見えているのかわからなかったが、みんなの恐怖心を取り除くことができると確信している眼差しだった。
 ステルラの首肯を待って、ソルは目を瞑る。5秒して、目を開いた彼はすこし大人びた表情で微笑んで。
「ステルラに会う人、みんながステルラを好きになるように書き換えたから、もう大丈夫だよ」
 何を書き換えたのかと問いかける間も無く、肩をつかまれる感覚。後ろを振り返ると、そこには先ほどの教師の姿。
「ステルラ様も、お勉強のお時間ですよ。ソル様、ルナ様もご一緒に太陽の宮へ参りましょう」
 その言葉は自然で、彼女の柔らかな眼差しからも先刻までの恐怖心は感じられない。
 ソルは教師の豹変に戸惑いを隠せないステルラの手をとる。
「僕が、ステルラを悲しませるものを全て取り除くから。だから、ステルラはここにいていいんだよ」

 他人に与えられる「ここにいていい」という言葉の温かさに、それまで感じていた違和感も忘れ、ステルラは生まれてはじめて嬉し泣きをしたのだった。




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