「13日の金曜日」


パチパチと、強風にあおられた雨が時折窓を叩く。バケツをひっくり返したかのように降る雨の音が、2階であるにも関わらず聞こえてくる。
「すごい降ってるわね。あ、雷」
 光と共に、腹の底まで響く轟音がやって来る。相当近いらしいそれに、雷が苦手でなくても身がすくんでしまう。
「雷雨だから、30分くらいで止むと思うわ」
 同室の少女たちは苦手な部類らしく、部屋の隅で2人、小さくなって震えている。
 突然の大雨と、夕暮れが近かったのもあって急遽借りた宿は古めかしく、薄暗い。魔法で明りを灯す魔術具もなく、あるのはアンティークの燭台だけ。
 その蝋燭に火をつけながら、少女は2人に尋ねた。
「気分転換に、百物語でも始める?」
「百物語って怖い話でしょう!?やめて!絶対しないで!これ以上怖いのは嫌!!」
「カノンさん、く、苦しいです」
 金髪少女の問いかけに即答したのは、獣耳の少女を抱きしめ、一緒に震えていた赤髪の少女。腕の中の少女は、恐怖に震えるカノンに絞め殺されかけている。
「んー。じゃあ、私、カノン、ナリの順ね。えーっとねー、何にしようかなー」
「やめてぇぇぇ!ミリィ!始めようとしないでぇぇぇ!」
 カノンの必死の訴えをスルーして、ミリィは話を進めてしまう。実力行使に出れば黙らせることは簡単だが、雷の恐怖で動くことができない。
「ナリも嫌でしょ!?何とか言ってやって!!……って嘘ぉー」
 頼りの少女は、カノンの腕の中で気を失っている。
 絶体絶命の大ピンチ。
「あ、そうだ!今日は13日の金曜日だから、これにしよう!白い仮面の亡霊の話!」
 嬉しそうな様子で言った次の瞬間、
「……こんな話があるわ。私も親戚のおばさんから聞いた話なんだけどね」
 怖い話によく合う低めの声で、ミリィは話しだす。
「やーめーてー」
 気絶したナリを抱きかかえていなくてはならないので、耳を塞ぐことができない。
 カノンが嫌がる様を愉快そうに見つめて、
「今日のような13日の金曜日には、悪い子を狩る白い仮面の亡霊がでるそうよ」
 努めて明るい口調で言った。元々、こういった話をするのはミリィも得意ではないのだ。
「わるいごはいねがー?って言いながら、悪い子がいる家に現われて、悪い子をさらって行っちゃうらしいわ。十中八九、悪い子を大人しくさせるための大人の嘘だろうけど」
 からりといつもと同じ調子で話すミリィに、カノンは怖ず怖ずと尋ねる。
「じゃあ、白い仮面の亡霊は実在しないのね?」
「うん、いないわ。どう?気分転換になった?」
 にこりと微笑むミリィにつられて、カノンも笑みを浮かべる。
「なったはなったけど……もう少し違うやり方はなかったの?すっっごい怖かったんだけど」
「あはは、ごめんごめん」
  コンコンコン。
 和やかになった部屋に響くノックの音。
「はいはーい?」
 きっと隣室の誰かだろうと、確かめもせずにミリィはノブを回す。
  ギィィィ。
 古くて立て付けが悪くなっているドアが、不気味な音を立てて開かれたその先に。

 白い仮面をつけた人の姿。

「……」
「……」
「……」
  パタム。
 無言のまま扉を閉めて、ミリィはカノンを見る。
 カノンも来訪者の姿を見ていたようで、暑くもないのに滝のように汗を流している。
「き、きっとロイさんのイタズラよ!白い仮面の亡霊なんているわけないし!私たち、良い子だし!」
 衝撃で声がうわずる。
「そ、そうよね!あの人ならやりかねないし……というか、そうであって欲しいけど……そうでなかったら?」
「そうでなかったら……?」
 2人顔を見合わせる。
 悪い子をさらって行っちゃうらしいわ。先程のミリィの言葉がエコー付きで再生された気がした。
「わるいごはいねがー?」
 そのまさかが真実なのだと言うかのように、扉の向こうから声が聞こえる。ロイの声とはどこか違う、くぐもった声。
「わるいごはいねがー?」
  ギィィィ。
「キャー!!!!!!」
「うえぇぇぇぇぇぇ!?」
 鍵をかけ忘れた扉を開き、白い仮面の男?が部屋に入ってくる。その足取りは重く、引きずるように。その姿は、まるで本物の亡霊。
「ロイさん、なんでしょ?いやだな、悪ふざけが過ぎますよ?」
 部屋の明かりが蝋燭だけのせいで、ロイかどうか一見しただけでは解らない。かと言って近づいて調べるのも怖い。
 何だか解らないという恐怖に圧されて、後ずさりしてしまう。
「ほら、カノンも何とか言ってやって……って」
 扉のそば、壁とベッドの間で、カノンとナリは仲良く眠りについている。
「気絶してるのー!?」
  ズル……ズル……
 よそ見をしている間にも、白い仮面の亡霊とミリィの間は狭まる。
 慌てて間を空け、
「……ッ!こ、来ないで!魔法を使うわよ!」
 ミリィの脅しにも怯む様子はなく。
 部屋は簡易ベッドが3つとテーブルがあるだけの小さな造り。一定の距離を保ち続けていたが、すぐにそれもできなくなる。壁際に追い詰められた背中が、雨で冷やされた壁に触れる。もう、逃げられない。
「け、怪我しても恨まないでね!スペルカット!颶風!」
 ミリィの声に応え、圧縮された風が亡霊を吹き飛ばす……はずなのだが。
「うそ……」
 普段、短縮詠唱でもそれなりの力を発揮するこの魔法が、そよ風程度の力も発現していない。目の前に迫り来る未知のモノへの恐怖で、効果発動のために必要なイメージを上手く作れなかったせいだ。
「普通に詠唱して間に合う魔法はないし……武器はベッドの上だし……」
「わるいごーはーいねーがー?」
 対処法を必死で考えるミリィを、現実に引き戻す亡霊の声。
 もう、1メートルもない。
「いや……来ないで!」
「わるいごーはーいねーがー」
 亡霊はね、悪い子をさらって食べてしまうのですよ。だからミリィちゃん、悪いことはしてはいけないのよ。
 白い仮面の亡霊の話を教えてくれたおばさんの言葉が思い出される。
「ごめんなさい!もう、悪いこと、しないから」
 きっと、カノンやナリが怖がるのを解ってて怖い話をしたのがいけなかったんだ。
「だから、許して……」
 恐怖と悔いる気持ちで、涙が頬を伝う。
「わるいごーはーいねーがー」
 しかし、ミリィの謝罪の言葉も虚しく、亡霊はミリィに触れようと手を伸ばす。
 が、その手は空を切る。ミリィが腰を抜かしたのだ。床に座り込んだミリィは、極度の恐怖でぼんやりと中空を見つめ、何事か呟いている。
「あはは。やり過ぎちゃったかな?ゴメンゴメン」
 白い仮面を取り、種明かしをする。仮面の下から現われた顔は、当初の見解通り、ロイ。
「部屋に飾ってあったのを付けて遊んでたら、君たちの会話が聞こえてきたから、ついさぁ」
「……」
 いつもの軽薄な笑みを浮かべて事情を説明するが、ミリィからの返事は無い。いや、単に声が小さくて聞こえないだけだが。
「なになに?」
 ミリィの呟きを聞くため、顔を近づけたロイは戦慄する。
「輝く日輪 揺らぐは大地
 命を奪う 緋色(あか)の御先(みさき)よ」
 彼女が唱えているのは、最近覚えたばかりの炎系高位魔法。
「えーと、怒ってるのかなー?」
「疾(はし)れ その風よりも朱(あか)く
 疾れ その雨よりも紅(あか)く」
 ロイの冷や汗に表情を変えることなく、まるで熱に浮かされる様に、ミリィは淡々と詠唱する。いつもの彼女らしくない。
「こんなトコでそんな魔法使ったら危ないよー?」
「全ての終末を追い越して 描け再生の舞を」
 ロイの制止も聞く気配がない。
 ミリィの腕がロイを指す。
「“不死永生火鳥の焔火(フレイム・フェニックス)”!」
 そして、火の鳥が放たれた。



  ピチョン……。
 頬を叩く冷たい感触に目を覚ます。
「あれ?外……?」
 空には星空が広がっている。何があったのか解らず、ぼんやりしているミリィに声がかかる。
「ミリィ、目が覚めたか?」
 声の主は黒髪の少年。空から彼に目を移したことにより、周囲の景色が視界に入ってくる。
 木製のフローリング、質素なベッドが3つ、椅子のない丸テーブル。見覚えのある風景。
「ねぇルル。天井と壁がない気がするんだけど、私たちどうやって雨宿りしてたのかしら……?」
 記憶が正しければ、天井も壁もあったはずなのだが。
 ミリィのとぼけた質問に、ルルはその綺麗な顔を歪ませる。
「覚えてないのか?」
「んー?白い仮面の亡霊の話をしてたら、ご本人様登場ー☆ってなって、怖くて失神しちゃったみたいだけど……。そう言えば、あの亡霊、どこ行ったの?ルルが追い払ってくれたの?」
「いや、俺じゃない。覚えてないなら良い。あいつも自業自得だろう」
 苦虫をかみつぶしたような顔で、それだけ言うと、ルルは行ってしまう。
「……?まぁ、良いか」
 世界には不思議なことはままあるものだと結論づけて、ミリィは新しい部屋の手配に向かうのだった。