3-a. ( 8/18 - prelude )
街の大通りの裏手にその店はあった。
軒下にテーブルがある、開かれた雰囲気の他の居酒屋とは違い、煉瓦の壁で囲まれた重厚な店構え。中央の両開きの扉を開けると、こういう場所特有の、タバコと香水が混ざった臭いがする。
酒と女性を楽しむことを目的とした店、キャバレー・ユニチャーム。普段縁の無い場所に、顔をしかめて足を踏み入れる。
「あら、お兄さん。良い男じゃない」
店の内部は、ムードを高めるためか薄暗い。テーブル同士の間隔も狭く、客の数は多い。
待ち合わせに不向きすぎる。
「スリムって派手な男がいると思うんだけど」
早々に自力で探すことを諦めて、声をかけてきた店の女性に尋ねる。
露出がやたらと高い衣装の上、出るところが出ているので目のやり場に困り、人探しを装って視線を逸らす。
「あら、スリムさんのお連れ様?私を指名してくれたら、うーんとサービスしちゃうけど?」
しゅるんと腕に抱きつかれ、上目使いで見つめられる。顔も声も仕草も可愛いとは思うのだが。
「えーと。考えておきます」
肩をすくめて常套句。つれないわね。と、寂しそうな表情で女性は腕を離し、探している人物がいるテーブルの場所を教えてくれる。
スコットを呼び出した男は、店の二階の特別待遇席に座っていた。
「お前さあ、いくら何でもここで待ち合わせはないんじゃねぇ?」
白地に金糸の刺繍が入ったシャツに、スパンコールの散りばめられた紫色のズボン。背中には白い羽根が孔雀のごとく広がっているそんな奇抜な衣装も、この華美な雰囲気でまとめられた店の中では不思議と目立たない。
不機嫌を隠そうとしないスコットの言葉に、この店一押しの美女二人をはべらせた派手な衣装の赤毛の男は口を開く。
「つまんない。つまんない男だね、君は。せっかく君のような冴えない男であっても嫌な顔一つせず平等に声をかけてくれる、天使のごとき女性の優しさを踏みにじるなんて。あ、そうか。君は女性ではなく男性の方が好みだったのだっけ?」
服装のセンスと同じで、会話も相変わらず噛み合わない。
「や、当然女の方が良いに決まってるけど」
思わず正直に返してしまう。すると。
「じゃあ、どうして三十にもなって女っ気の一つもないのだろうか。ああ、私は君の将来を大いに心配してしまうよ。私の彼女の中から何人か斡旋するべきなんだろうかと悩んで眠れない日々が続いているよ」
風の噂では、スリムの彼女は二十人を超えたとか超えないとか。
突っ込み所は多々あるが。スコットは女性関係に超が付くほど奔放な従兄弟をジト目で見つめ。
「俺の出自、分かってて言ってる?」
「おや?私の出自も大変高貴だが、案ずることはない。火遊びは火が燃え上がって手におえなくなる前に消せばよいだけなのだから、簡単なものだよ」
「そんな器用さ、いらねぇよ!」
ふむ。一人を生涯愛したいタイプなのだな。だから理想が高くなり、出会いが……などと、要らぬ分析を始める。
こんな男が、王の右腕の名で称えられる一族の当主をしているんだから、この国は本当にヤバいんじゃないかと思う。
「で、今度は一体何の用?俺の彼女探しとか言うんなら帰るけど」
そうだったそうだった。と、スリムは本来の目的を思い出した素振りを見せる。
「四の姫の騎士はロリエという名らしい」
が、本題に入る様子はない。隣の女性たちもこの場に留まっている。
「そして彼はウイング伯の養子であり、養子になる前はエルモア戦役に従事していたとか」
ただの情報の羅列。重要度も意図するところも分からない。
「それで?」
どうせこの調子で、面倒事を請け負わざるを得ない状況に持っていかれるのだからと、会話することは諦めて、次の言葉を待つ。
「ウイング伯の所有船、十五隻はここ一ヶ月運輸録上は動いていない。そして、先の四の姫らの追悼会が今日、ウイング伯爵邸で行われる」
さっきの言葉の真意は分からなかったが、こちらの言いたいことは理解できた。
「まさか、そこに皇帝が来ることになってるとか言うんじゃ……」
今まで無表情だったスリムの顔に薄っすら笑みが浮かぶ。
「飲み込みが早いことだけが取り得なのは相変わらずのようで安心したよ。
そんな感じだから、よろしく頼みたいのだけれどね」
「嫌だって言ったら?」
「君には言えないと思ったのだけれど?」
先頃出された「次期皇帝選定」の先触れ。
一体誰が選定されるのかと、当事者の皇子、皇女だけでなく、周囲の貴族たちも浮き足立っている現状。
このまま、皇帝が次期皇帝を決めずに亡くなるようなことがあれば。
また皇帝の座を巡って、内乱が起こる。
そうすれば、これ幸いと周りのハイエナたちが国土を貪ろうと、戦争を仕掛けてくる。
二十年前の、地獄の、再来。
スコットは知っている。二十年前の地獄を。
一番酷い地獄で戦っていたのだから。
だから、嫌とは言えない。
言えるはずがなかった。
「んだけどなー。嫌だなー。やめちゃおっかなー」
宿に帰って来て、睡眠を取ってから。ずっとスコットは何やら悩んでいるようだった。
彼からは薄っすらだが、女性物の香水の甘い香りがする。昨晩どこに行っていたのか問いただしてみたかったが、大人の男性には色々事情があるものだと、好奇心を押し止める。
「どーしよっかなー」
悩みを聞いて欲しいのだろうか、一人呟き続けている。が、エリエール号の乗組員は昨夜の酒宴で酔い潰れてから、未だに目を覚ます気配が無い。
クレスは窓辺に置かれた椅子の背もたれに顎を乗せ、外を見ているスコットの隣の席につく。
「悩み事か?」
沈黙。
聞こえるのは部屋で眠るみんなの規則正しい寝息と、街の喧騒。
昼を過ぎて活気付く街並みをどことも無く眺めていたスコットは眉をひそめる。
「私に言えないような事柄なら仕方ないが。そうでないなら、口から出してしまった方が楽になると思うが、どうだろう?」
彼の表情から察するに、クレスに出番はなさそうだったが。
「それがさぁ」
ただ、話す事と順番を考えていただけのようで。
「皇帝が暗殺されるらしいんだわ」
「そうか、皇帝が暗さ……ええええええ!?」
いきなり要点を、しかも素っ気無く言われて、危うく聞き流しそうになった。
「あ、暗殺って言った?今!?」
気持ち良く眠っている人たちがいることを思い出し、声を落とし確認する。
スコットは首肯で応じ。
「今夜、ウイング伯爵邸で、クレシア姫たちの追悼会が開かれるんだってさ。そこに出席予定の皇帝が狙われてるみたい」
事件が起きた海域はここから近い。
普段は船でその現場まで行って慰霊祭を執り行うのだが、今回は海賊に襲われて沈没したということもあり、危険だとの判断で控えたのだろう。
「ウイング伯爵って、あの無許可船の」
「そ。所有船の半分が運輸録上全く動いていないから、密輸してるんじゃないかって疑われてる」
密輸、それは即ち国家反逆の意思があることを示している。
ウイング伯は戦時は戦争推進派で、現皇帝とは正反対の派閥に属していた。
故に、今は窓際貴族な訳だが。
「俺ってばさ、二十年前の戦争の時、激戦地に投入されちゃってさ。皇帝のこと恨んでるんだよね」
だから助ける気が起きないって言うかさ。と、遠いどこかを見つめる目は虚ろで。
戦争中、幼く、身分の高さから安全な場所で守られていたクレスには、どんな悲惨なことがあったのかは想像も出来ない。
辛そうな表情で笑うスコットに。
クレスは掛ける言葉を見つけられない。
「次期皇帝選定を目の前にして皇帝が亡くなれば、内乱が起こりそうだけど。この前の沈没事件で有力な貴族はみんな亡くなっちゃったし、ウイング伯は窓際貴族の頭だから、上手いこと次の皇帝を立てて、傀儡政治でも行うんじゃないかと思うんだよね」
だから内乱は起こらないし、戦争も起こらない。
だったら俺は何もしなくていい。
スコットはウイスパー家と繋がりがあるとは言っても、ただの海賊船の船長だから、この言い分は仕方ないのかもしれない。
でも。
「その皇帝が戦争を行うかも」
「今の皇帝が選ぶからって、次代も平和主義の賢君とは限らない。どちらに転んでも戦争の可能性はあるよ」
冷たく切り返される。
心の柔らかくて弱い部分が突き放されて寂しさを訴えるが、同時に、冷静な部分が「彼らしくない」と警鐘を鳴らす。
彼と出会ってまだ三日しか経っていない。
それでも、彼らしくないと思った。
スコットはもっと、欲望に忠実で、自分勝手で、優しい人柄だったはずで。
やりたくない事はやらないが、嫌な事でも必要であるなら自分を後回しに出来る、そんな人のはずで。
こんな風に、一度決めたことをうじうじと悩む人間じゃないはずで。
きっと助けに行きたいのだろう。
恨みに思う気持ちが、過去の悲しい体験が、それを許してくれないのだろう。
「それでも、私は皇帝陛下をお守りしたい。危険が迫っているのが分かっているのに、見過ごすことなんてできない」
凛とした態度で言い放つ。
きっと彼もそうしたいと望んでいる。
自分の直感を信じて。
「ウイング伯爵邸に潜入する。目的は、密輸の証拠の捜索と暗殺の阻止」
スコットは、立ち上がったクレスを見上げる。
決意を固めた眼。夏の海と同じ、澄んだ青色に迷いは無い。
「『密輸の疑い』程度では国軍は動けない。伯爵領だから、警備の八割は伯爵の息がかかった者になる。事情を知っていて、秘密裏に動けるのは私たちだけ。違うか?」
「……間違いないよ」
観念したように息をつくスコットに、手を差し伸べる。
「ならば私に付いて来い。正義を貫く素敵で可憐な船長さんが、善行の尊さと喜びを教えてやる」
アレンジは加わってはいるものの、自分の言葉を引用されて、思わず苦笑してしまう。
「船長命令?」
「そうだ」
「拒否権は?」
「ネピアまで私が船長という話だったと思ったが?」
スコットに怪我を負わせてしまったことを悔やんでいたとは思えない態度。
無鉄砲な所はあるが、理知的な所もあるから、きっと自分の身を守る方法くらいは考えてあるのだろう。
「仕方ねぇなぁ」
頭をかくスコットの顔は、面倒くさそうで。でもどこか嬉しそうで。
「おてんば船長のお守りが俺の仕事だもんな」
差し出された手を取る。
「おてんばか……よく言われる」
微笑んだ顔は、天女のように美しかった。
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