4. ( 8/21 - bloody knight )
爆音轟く戦場。
力での押し合いに負けて、無様に地面に転がる。
相手は大人。対してこちらは十歳にも満たない子供だ。どう考えたって分が悪すぎる。
国は自分たちを見捨てたのだ。どうせ孤児の集まりだからと、平民の子だからと、捨て駒にされたのだ。
ここへ派遣されて四日。逃げ続けるのにも、戦い続けるのにも疲れていた。
親も兄妹もない。生きる理由なんてない。生きていたって何も変わらない。
だったら、ここで殺されても良いんじゃないか?
少年は倒れたまま、視線だけを動かす。
生きることに絶望した少年の瞳に、剣を振りかぶる男の姿が映る。
この戦場で幾度となく目にしてきた、血のように赤い鎧。敵国システィソフティの兵士。
あの剣が振り下ろされたら、自分は死ぬのだ。
そう解っていても、少年は動かない。
まるで虫でも殺すかのように、言葉も躊躇いもなく剣は閃く。
終わりだ。
ぼんやりとその様子を眺める少年の視界を遮る影。
赤い鎧ではない。自分と同じ漆黒の装束。
素早い動きに、遅れて追いついてくるマント。目の前の映像がひどくゆっくりに見える。
しかし、鋼がかち合う音は鋭く。
敵の攻撃を押し止めて、彼は振り返らずに怒鳴る。
「簡単に死のうとするな!戦え!抗え!自分の居場所は自分の手で勝ち取れ!」
声変わり前の少年の声。自分と二つしか年が違わないはずなのに、大きく見える背中。
シャランと、剣のたてる物とは違う、金属の触れ合う澄んだ音。
力では到底敵わない。だから、少年は相手の力を上手く受け流し、兵士が体勢を崩したところに素早く回し蹴りを放つ。攻撃は首にきまり、兵士は気を失う。
「立てるか?」
屈み、少年に手を伸ばす。
黒い髪、黒曜石の瞳、金色の耳飾りの石の数は一つ。
皇族であるにもかかわらず、幼少期からエルフォーレ訓練施設で生活している少年。
「私は、私には生きる理由がありません」
力ない呟きに、彼は顔をしかめる。
「お前もか。お前ら面倒くせぇ奴ばっかだな。生きる理由なんて、あればウキウキするくらいのもんで、別に無くても死にはしないのにさ」
だから無くてもいいんじゃん?
そうあっさり言われて、呆けてしまう。
母親が騎士を多く輩出する一族だからと、その戦闘能力を見込まれて、皇族としての生活を奪われ、孤児に混ざって戦闘訓練に明け暮れる毎日。そんな人生に絶望していると思っていた。自分と同じように、生きる意味を見失っているだろうと思っていた。
が。闇色の瞳には、生き抜こうとする強い意志が見て取れて。
その輝きを、素直に綺麗だと思った。
「それでも、生きる理由が欲しいって言うんなら、がむしゃらに生きて、生き抜いて、それで見つけろよ」
ほら、アイツ起きちゃうから。と、少年に肩を貸し、起き上がらせる。
これが彼との出会い。
生きる理由探しという、長い旅の始まり。
戦争が終わって、平和な時代が来ても。
生きる理由は、未だに見つけられない。
帝都ネピアの、貴族の別邸が集まる区画。皇帝に謁見しに来た領主が、寝泊まりするためだけの建物にしては豪奢な物が多いそこの最奥に、ウイング伯爵家の別邸はあった。
そこへ向かう、白い馬にまたがった男。茶色い髪、精悍な顔立ち、皇族の騎士の証である紺の騎士服。彼の名はロリエ・ウイング。今までは有力な父の影に隠れて目立たなかったが、皇帝の騎士に推薦されるなどの異例の出世に、周囲の注目度も高い。
建物の入り口に馬を留め、自ら扉を開ける。出迎える人はない。
今夜ですべてが終わる。だから、使用人たちには暇を出した。
人気のない回廊をゆっくりとした足取りで進む。
今晩開かれる、皇帝主催の晩餐会まで時間があるから仮眠を取ろうと、自室への近道である中庭に差し掛かったところで、声がかかる。
「お前、エルモア戦役に出てたらしいじゃん?」
聞いたことのある声。漂流していた姫を救ってくれた、スコットとか言う名の、男の声。
彼の身のこなしなら、人気のない邸宅に忍び込むなど簡単なことだろう。
彼が来る予感はあった。
だから、ロリエは驚かなかった。振り返り、冷静なまま応じる。
「そうですが、それが何か?」
挑むような視線に、スコットは肩をすくめる。
「別に。ただ、同じエルフォーレ訓練施設出身者として、お祝いでも言おうかなーと思って来てみただけ」
年の頃から計算すると、エルモア戦役に従事していた頃、ロリエは八歳くらいのはずだ。戦後、資料がすべて処分されてしまったから証拠は無かったが、彼の反応を見るとエルフォーレ訓練施設出身なのは間違いなさそうだ。
「貴族大量虐殺も、クレシア姫救出と皇帝暗殺を未然に防いだことで情状酌量、無罪放免。当主が国家反逆罪で死刑確定だから、自動的に当主襲名。んー、鮮やかだよね。それで、使用人全員解雇して、お前は何をしようとしてんの?」
スコットは知っている。エルモア戦役に従事した子供たちが負う心の闇を。
戦争が終わって、二十年経っているから。彼は大丈夫なんだと思っていたのだが。
「皇帝を殺して、再び戦争を起こそうと思っています」
スラリと、腰の剣を抜く。
「あっさり答えてくれたってことは、生かして返さないぞーってことだよね」
返事の代わりに、ロリエはスコットに斬りかかる。素早く対応したものの、得物がナイフだから防戦一方になってしまう。
絶え間なく繰り出される斬撃。
最後に繰り出された一閃の勢いを受け流さず、逆に利用して、スコットは後ろへ飛び、間合いを開ける。
「何で戦争を起こそうと思ったわけ?冥土の土産に教えてくれても良くない?」
余裕の見える表情で尋ねる。
聞かなくても、大体の想像は付く。今まで、何度もそういう人を見てきたから。
極限状態のせいで、心が壊れ、人を殺すことに快感を覚える様になった人。
幼い頃から戦闘しか教えられなかったから、暴力以外の自己主張ができない人。
それゆえに、他人に受け入れられず、孤独感に苛まれ続ける人。
こびり付いた恐怖、寂しさ、悲しみ、苦しみをぬぐうため、酒や薬で体を壊した人。
あの戦争で命を落とした人数より、平和な世になってから死んだ人の方が多い。
「生きる理由が見つからないからです」
意外に律儀な性格のようで、ロリエは応える。
その言葉を聞き、スコットは感情の無い冷えた口調で問いかける。
「クレシアは生きる理由じゃねぇのかよ。アイツと一緒にいて、お前は何も得られなかったのか?」
目を閉じれば少女の笑い顔が浮かぶ。ウイング家に養子に入ってすぐに引き合わされた少女。好奇心旺盛で、無邪気だったから非常に手を焼いた。彼女といて、つまらなかったわけではない。それでも。
「彼女は、私の生きる理由ではない」
「そうかよ」
クレシアが孤立していたのは、後継者争いのせいだけでは無いのだろう。一番傍にいる騎士がこんなだから。彼女のことを少しも想っていないから。無意識に彼の心を感じ取って、よりどころを無くしていたのかもしれない。
「お前のことはちょっと許せないけど、分が悪いから退却させてもらうわ」
そう言い、身を翻し、すぐ傍にあった入り口から建物の中へと入る。
当然、ロリエは後を追ってくる。
長い回廊を駆け抜け、玄関ホールへとたどり着く。
「よっしゃ、あった」
ホールの端に並べられた甲冑から剣を拝借し、構える。実は室内での剣を用いた戦闘は苦手分野なのだが、ホールは吹き抜けになっているし、ダンスパーティが開けるくらいの広さもあるから、いつものように考えなく剣を振るっても問題ないだろう。
追いついたロリエの剣が迫る。それを正面から受けて。
「それで?戦争が起きればお前の生きる理由も見つかるって言うのか?」
「私は気づいたのです。戦っている時が、一番私らしくいられると」
剣を弾き、間を開ける。
「だから、戦いの中に生きる理由があるんじゃないかって?」
「平和な世では出会えませんでしたから。私の望む、私だけの主君に」
ロリエは剣を振るう。彼の性格をそのまま写したかのような、型通りの剣撃。しかし、速い。
この剣術の型はスコットも知るものだったが、だからといって余裕を持てるスピードではない。
「本気出さないとやばいかも」
ぺろっと唇をなめて、腰を据える。自然と表情も引き締まる。
彼の攻撃を屈んで避け、足払いをかける。スコットの体勢から、この攻撃を予期していたロリエは後ろに跳び難を逃れた。
スコットは剣を構える。遊びも手加減もしない、本気の構え。
「……その構えは……まさか」
疑惑を確かめるべく、ロリエはスコットの懐へ飛び込む。
何度か切り結ぶうちに、疑念は確証へと変わる。
ギリッ……二人の剣が、ぶつかり合って止まる。二人の視線がぶつかる。
「貴方はスコッティ様ですね」
「さぁ?人違いだと思うよ?」
空惚ける彼は、口元にだけ笑みを浮かべる。その漆黒の眼差しは、ロリエの記憶の中の物と同じで力強い。
人違いではない。見かけの特徴も彼と共通している。戦争終了と共に失踪し、死亡説が囁かれている、現皇帝が第一皇子、スコッティ・クリネックスと。
彼に再び出会えたなら聞きたいことがあった。
「あまたの仲間を犠牲にして生きながらえておきながら、今まで何をしていたのですか?」
スコットが剣を押す力が弱まる。瞳が揺れる。明らかに動揺している。
「彼らは皇子である貴方に夢を見たから、だから命を捧げたのに。貴方は皇子であることを放棄して、彼らの死を無駄にした」
「俺は……!」
叫ぶように発した言葉と共に、組み合った剣を弾く。
言葉も攻撃も止む。
返答を待つ冷ややかな瞳。
「俺は……」
言葉は続かない。いや、続けられない。何を言っても自分勝手な言い訳になってしまうから。
彼の言葉は正しい。
解っていたつもりだった。理解していたつもりだった。
真っ正面から責められることがなかったから。
自分に都合のいい理由を付けて、見て見ぬふりをしていた。
でもそれは。
あの日、負った罪から。
目を背けていたのと、同じこと。
彼らの存在を蔑ろにしたのと、同じこと。
あの日、激戦地である国境の村、エルモアに派遣されたエルフォーレ訓練施設の少年兵たちは、かつてない猛攻にさらされていた。
ひた隠しにしてきた潜伏地が見つかってしまい、襲撃を受けたのだ。
相手は大人とはいえ、平時は農作業に勤しむ農民。対してこちらは、子供に見えても幼少の頃から鍛え上げられている戦闘のプロ。
奇襲ではあったが、お互い死者を出すことなく、やり過ごせると思った。
だが。
予期せぬ砲撃が予想を覆す。
システィソフティ正規軍の、砲撃。
それも、自国の兵が戦っている最中への、砲撃。
血が流れる。命が絶たれる。
敵も、味方も、関係なく。
「逃げろ!お前ら、殺されるぞ!」
どちらも助けたかった。が、何かに取り憑かれたかのような執拗さで迫る敵兵を昏倒させ、仲間を逃がす。
周囲を眺めやり、味方が全員避難出来たことを確認する。
「よし。じゃあ、俺も逃げますか」
駆けだそうとして足を取られ、危うく転びそうになる。
足下には赤い鎧。男の手が、足をつかんでいる。
「家族を助ける家族を助ける家族を」
焦点の定まらない目で、呪文のように呟き続けているシスティソフティの兵士。立ち上がる力は無いようだったが、足をつかむ力は異常に強い。
何度か手を外そうと試みてみるが、徒労に終わる。
これは残念だけど、ちょっと痛い思いをしてもらわないと駄目かなと考えたその時。
「皇子、危ない!」
逃げたはずの仲間数人が、スコッティを囲み、壁のように立ちはだかる。
そちらを見上げようとした瞬間、光が弾ける。
焦げた匂いと共に、くずおれる仲間の姿。
砲弾が当たったのだと、敵の攻撃から守ってくれたのだと、すぐには気づけなかった。
「お前ら、馬鹿か!そんなことしてないで逃げろ!」
足の戒めを解くことも忘れて怒鳴る。
そんなことをして欲しいから逃がしたんじゃない。
生きて、生きる理由を見つけて、幸せに生きて欲しいから。
だから、危険を顧みず、守ろうとしたのに。
だから、敵の目が自分に集中するように、嫌いな耳飾りも付けていたのに。
それなのに、スコッティをかばうように立ちはだかる少年たち。
「俺たちの生きる理由は皇子です」
「俺たちのことを解ってる皇子は、生きなきゃ駄目」
「生き延びて、俺たちみたいな孤児が、幸せになれる世界を作ってくれよ」
これが最期と、覚悟するかのように。少年は口々に告げる。
耳飾りに気づいたのだろう、敵の砲撃が集中する。
盾になった少年が倒れても、また別の少年がスコッティを守る壁となる。
「……やめろよ」
足をつかむ手に、刃を突き立てる。が、兵士は事切れているようで。手は緩まない。
弾ける閃光。
「もう、やめてくれ!!!!」
スコッティの叫びが届いたかのように、砲撃が止む。
敵から上がる白旗。
それを取り囲む様にはためくクリネックス帝国軍旗。
ようやく、皇帝が決まって。
ようやく、帝国軍が動いた。
それは、彼らが派遣されて、一週間目のことだった。
「彼らが見つけた生きる理由を、私も見てみたかった。貴方だけが私の生きる理由になり得たのに、残念です」
立ち尽くすスコットの首筋に剣を当てる。
「皇子でない貴方に。あの輝きを持たない貴方に。生きる価値など在りはしない」
面と向かって言われて。まっすぐな言葉で告げられて。
心が揺れる。
考えないようにしていたことが、あふれ出す。
俺は、死んだ方が良いのか……?
その考えを打ち消すように、クレシアの顔が浮かぶ。
いや、俺は。何があっても。絶対に。あの笑顔を曇らせるわけにはいかない。
「俺は、死ねない」
「そうだよ。殺しても死なない。うちの船長さんは不死身の駄目男だからね」
背後からする聞き慣れた声。
そちらに気を取られたロリエの隙を見落とさず、スコットは首を切り裂こうとしていた刃から逃れる。
「駄目男とかひどくない?俺ってば、やれば結構何でも出来んのよ?」
「そう言って、やった試しは無ぇじゃねぇか」
反論は、さっきとはまた別の声に打ち消される。
「まぁね」
答えて、ロリエへの警戒を崩さず、横目でそちらを見る。
豪奢な屋敷の入り口に立つ、二人の男。エリエール海賊団の仲間であり、幼なじみであり、親友でもある、レットとティル。こっそり姿を消したスコットを追いかけて来たのだろう。
皇子であるという事実を知っても、変わらず「スコット」として接してくれる彼らが大好きだった。
彼らはきっと、危機に瀕しても、「皇子だから」という理由でスコットを助けることは無いだろう。
むしろ、簡単には助けてくれない気もする。
「援軍……ですか」
旗色が悪くなったのを見ると、ロリエは踵を返し、走り去る。
その後ろ姿を見送って、
「加勢する気は無かったけどな」
「えー、助けてくれても良いじゃん」
レットの呟きに口を尖らせると。
「お前、自分以外の奴が喧嘩するの、好きじゃねぇだろ?」
図星を指されて、言葉に詰まる。
レットもティルも、決して弱くはない。
だが、ロリエはそれ以上に速くて正確な攻撃をしてきた。彼らがやり合ったら、勝てたとしても、無傷ではいられないだろう。
誰かが怪我するぐらいなら、自分が傷ついた方が良い。
「で、アイツ、追うのか?」
「いや。皇帝を殺すとは言ってたけど。多分、今夜の晩餐会の場でやるんだろうし。もうどこ行っちゃったか分かんないし。追わない」
内乱を起こさせて、戦争に発展させるなら。こっそり暗殺するよりも、人の目がある場所で殺した方が効果的だ。誰もいない場所で殺せば、周りの人間によって生きているように偽装される可能性もある。
「じゃあ、ボスにお願いしないとね」
「今回は……スリムには頼まない」
二人の視線が集まる。変な物でも見るかのような、驚いた表情。
気にせず、続ける。
「あー、でも、服とか色々、用意してもらわないといけないから、結局お願いするってことになるのか」
預けておいた「証」も受け取らなくてはならない。
「戻るの?」
嬉しそうなティルの顔に、ため息混じりに応じる。
「アイツ、生きる理由を探してるらしくて。それが、皇子であるスコッティ様に仕えることだって言うからさ。戦争を起こさせるわけにはいかないし。親父が死んだらクレシアも悲しむだろうしさ。仕方ないじゃん?」
いつかは帰らなくてはならないと思っていた。
ずっとこのままでいられるとは思ってなかった。
解っていた。
海賊として、無許可船を取り締まるだけでは彼らの願いを叶えられないと。
解ってはいた。
「そう」
素っ気ない親友の返事。
「スコット」として接してくれていても、彼が「スコッティ」だと知っているのだ。
彼の本当の居場所はここではないと、理解しているのだ。
それでも。
「行かないで〜って、言ってくんないの?」
寂しそうな笑顔。
ちゃんと覚悟を決めたから。帰るのが嫌なわけではなくて。
居心地が良かったから。離れるのが辛くて、寂しいだけで。
「言わねぇよ」
「……そっか」
思っていたものと同じ言葉が返ってくる。それでも、泣きそうになった。
本人は隠しているつもりなのかもしれないが、落胆がありありと見える様にレットは小さく息を吐く。
「でも、また辛くなったらいつでも帰ってこい。お前はいつまでもエリエール号の家族なんだからよ」
「え」
視線を上げた瞬間、堪えていた何かが落ちた気がした。
「どんなに離れても、ずっとずっと家族。らしいからね」
人相があまり良くない男たちの、優しい微笑み。
目が、潤む。
「お前ら……大好きだ!!!」
泣き顔を見られたくなくて、二人に抱きついた。
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