epilogue ( 8/21 - his worst birthday )


「あの方はお戻りになるでしょうか?」
「無論、そうでなくては困る」
聖騎士の問いかけに、帝都を一望できる窓、それを背に座る四十代くらいの男は即答した。見かけの若さとは裏腹に、にじみ出る雰囲気は、他人に無条件に畏怖か敬愛の念を抱かせる。
彼はクリネックス帝国皇帝、ソフィ・クリネックス。今年還暦を迎えるはずだが、皇族に流れるという悪魔の血の伝説を裏付けるかのように、彼らの老いる速度は遅い。
「やつが戻るという確信があるからこそ、四の姫を使ったのだから」
クリネックス帝国を乗っ取ろうと画策するシスティソフティ王国。ウイング伯爵がそれと繋がりを持っているのも、彼らが国家転覆のチャンスが来るのを待ち望んでいることも、知っていた。故に、「次期皇帝選定」という切っ掛けを与えてやったのだ。クレシアが巻き込まれ、スコッティと出会うように時期を見計らって。エルビラの血を継ぐ彼女に万が一ということが無いよう、安全な海域を指定して。
「手間取ったが、計画に狂いはない」
全ては皇帝の思惑通りに進んでいる。
あの事件で、古い体質を持つ不要な貴族はみんな掃除できた。
戻ってきたクレシアも、悩みが吹っ切れたかのような明るい表情をしていた。彼女はスコッティの「生きる理由」だ。クレシアの変化に感化されれば、頑なな彼の心は間違いなく変わる。
「今夜、継承の儀は行われる」
自らの子をも駒と見る氷の皇帝は、艶やかに笑んだ。



シャラン……シャラン……
金属が触れ合う、清らかな音色。



王宮の回廊を無遠慮に歩く黒髪の男。エリエール号を束ねる船長の座につく彼、スコットは、しかし、いつもとは違う雰囲気に包まれていた。身に纏うのは、いつもの海の男然とした簡粗な服とは違う、質の良い生地ばかりを使った、シンプルなデザインではあるが高価なローブ。腰には宝石で飾り立てられた、実践では使い物にならなさそうな宝剣。そして耳には、いつも付けている物とは違う飾り。
見回りの兵の脇を通る。兵はお辞儀するばかりで、不審な彼を追ってこない。
彼の耳に揺れる「証」のせいだ。
皇族の男子を表す金色の耳飾り。コインくらいのサイズのプレートに描かれた紋章は、当代皇帝の子を示すグリフィン。一つだけ埋め込まれたスタールビーは、生まれ順を、彼が第一皇子であることを明示している。
長かった夏休みも今日で終わる。
スコットはスコッティへと戻るのだ。
シャラン……
耳飾りから垂れる棒状の飾りが、触れ合って音を奏でる。
スコッティはこの耳飾りが大嫌いだった。
口に出さずとも、耳に付けた金色の輝きを見るだけで、他人は彼の身分を理解してしまう。
理解して、そして、離れていってしまう。
俺は、そんな凄い存在じゃないのに。みんなと何一つ変わらないのに。
皇子だから。身分が違うから。
仲間ではないと。線を引かれてしまう。
心が遠ざかっていってしまう。
同じ空間にいるのに。
同じ物を見ているはずなのに。
同じ様に感じることが出来るのに。
まるで別の生き物のように扱われる。
皇子だから尊いものと、決めつけられて。
守られる。期待を寄せられる。中身に見合わないほど過剰に。
だから、この耳飾りが嫌いだった。
皇族の中にいても、権力争いが原因で兄弟の仲は悪かった。
エルフォーレ訓練施設にいても、結果的に「皇子だから」みんなを失ってしまった。
だったら、皇子でなければ。
俺が皇子でなければ、誰も死なないし、誰も傷つかない。
誰にも受け入れられない。誰とも共有できない。悲しい、寂しい思いをしなくていいんじゃないか?
だから、嫌いな耳飾りを、皇子であることを放棄したのに。
……貴方は……彼らの死を無駄にした。
思い出されるロリエの言葉。
そして、クレシアの顔。
行方不明の兄とスコットを重ねて見ていた少女の眼差し。
皇子である時、身分も後継者争いも関係なく、彼を「スコッティ」として接してくれた唯一の存在。
再会して、幼いが故の無垢だったわけではないことを知って。
今でも慕っていてくれていることを知って。
自分の原点を思い出した。
あの頃の自分が胸に抱えていた「生きる理由」を思い出した。
スコッティの存在を許してくれる、大切な妹の笑顔を守ること。
そして、ロリエとの出会いで、霧が晴れた。
「仕方ないよねぇ」
言葉とは逆に、笑顔が浮かぶ。
二十年、だらだら生きてきて見つからなかった物を、探し当てた喜び。
いや、本当は探さなくても身近にあった。ただ、霧がかかって見えなかっただけで。
自分に向けられる大切な人たちの想い。
応えなくてはならない想いが、そこに在ったのに、自分のことに精一杯で見えなかった。
叶えてやりたい。応えてやりたい。
俺を大事に思ってくれた人たちの想いに、感謝するだけでは足りない。
俺を助けてくれた人たちの死を、無駄にしてはいけない。
何かを、返したい。
それは皇子に戻らなければ、出来ないこと。
皇子である自分を認めなければ、出来ないこと。
仕方ないなんて、本当はこれっぽっちも思ってなくて。
「ロリエ君がスコッティ様をご所望なんだもんね」
それでも、今更皇子に戻ることが照れくさくて。
ロリエに感謝しなくてはならない。戻らざるを得ない状況を作ってくれたから。大手を振って帰ることが出来る。
だから彼に、「生きる理由」を与えてやらなくてはならない。
長い回廊を抜けると、目の前に巨大な扉が現れる。
赤茶色の木に、神話の光景が金細工で描かれている。神殿の入り口。
「暗殺の前に、お祈りでもしてんのか?」
もう晩餐会が始まる時刻なのに。王の右腕と誉れ高いウィスパー家の情報網を疑うわけではないが、些か奇妙な感じがする。
言いしれぬ違和感。
それを無視して、重厚な見た目そのままに重い扉を開け、中へ歩を進める。
奥まで伸びる道と明かりの蝋燭しかない、縦に長く飾り気のない広い室内。
この国を初代皇帝に譲ったとされる、成長を司る女神クレシアを祀る最奥の祭壇に、人影が二つ。
「スコット?……ええ!?スコッティ兄様!?」
静謐な空気を乱す、驚きの声。
人影の片方は、女神と同じ名を与えられた最愛の妹。
もう片方は。
「ただいま。黙っててごめんな。ロリエ、お望み通り帰ってきてやったぞ」
クレシアは、目を潤ませながらも首を振る。そんな彼女に、ロリエは聖杯を差し出す。
「女神の血を、ここへ」
頷き、儀礼用のナイフで指に傷を付ける。
聖杯の中には、元エルビラ領にある霊山の湧き水がなみなみと入っている。そこへ、クレシアの血が一滴落とされて。
「おい、それって……まさか」
嫌な予感。
ロリエは「皇帝の騎士に推薦された」と聞いた気がする。
それが現皇帝のではなく、次期皇帝のだとすれば。
「悪魔の子よ。
 そなたにこの国を授けよう。
 私の愛する可愛い悪魔。
 王となっても悲しみを、寂しさを忘れぬように」
神話にある国譲りの一節を、クレシアが歌い上げる。
これは、皇帝を継承するための儀式。
神話になぞらえて、古代から続く継承の儀。
女神に愛された悪魔が、彼女の国と、彼女の聖騎士を与えられ、王となる物語の再現。
「いや、俺、皇子に戻る気はあるけど、皇帝になる気は無いっていうか」
ロリエは聖杯の水を飲み干す。
女神の血を継ぐエルビラ家、悪魔の血を引く皇族。
継承の儀に不可欠な聖騎士役は、皇帝になる者に、忠誠を誓う騎士が選ばれる。そして、女神の血を体に入れることによって、女神の眷属に、聖騎士になるといわれる。
継承の儀は、女神が歌った後、聖騎士が悪魔を王と認め、忠誠の言葉を告げ、悪魔が盟約の文を読み上げるというシンプルな物。
「安心してください。私は貴方を認めない」
女神の血の影響か、ロリエの空色の瞳が金に輝く。
「聖騎士の力をもって、貴方と皇帝を殺す」
スラリと剣を抜き、襲いかかる。
戻ればロリエは納得して、丸くおさまると楽観的に考えていた。
武器は装飾過多で耐久性が心配な剣。衣装は儀礼用で裾が長いから動きづらい。
……まぁ、ちょっと困るかもしれないけど、無駄に悪運だけは強い君なら心配ないだろうよ。
服を借りた時の、従兄弟の言葉が思い出される。
アイツ、こうなることを知ってやがったな。
舌打ちをしたい衝動に駆られたが、すぐにそれどころではなくなる。
絶え間なく繰り出される剣撃。さっき剣を交えた時よりも、早さも強さも上回っている。
状況を打開するには、ロリエを納得させる言葉が必要だ。コイツに忠誠を誓っても良いと思わせるほどの言葉。
殺されるわけにはいかないし、皇帝を殺させるわけにもいかない。
ロリエが手を汚すことも、ロリエが死ぬことも、クレシアは望まないだろうから。
剣を受けながら、思考をフル回転させる。
と、足がもつれる。戦闘用に作られていない服が、足の動きを阻んだのだ。
その隙を突いた攻撃で、スコッティは尻餅をつく。
カラン……
スコッティの手を離れた剣は、壁に当たって止まる。鼻先に突きつけられる刃。絶体絶命の危機。
それなのに、スコッティの顔には微笑みが浮かんでいて。
「お前に俺は殺せねぇよ」
結局、彼の心を動かせる言葉は見つけられなかった。時間がたっぷりあっても、きっとたどり着けなかっただろう。
でも、それで良いと。スコッティは思うのだ。クレシアのことを生きる理由にしたのは、彼女の行動に胸を打たれたからで、何かを言われたからではないから。「私を生きる理由にしろ」なんて言われてたらきっと、彼女を守ろうなんて思えなかった。
だから、絶対にそれだけは言わない。
だから、例えこれが最期なんだとしても、命乞いをするなんて格好悪いまねは出来ない。
「戯言を」
ロリエの剣が、スコッティを切り裂こうと動いたその時。
「駄目!」
制止の声がかかる。立会人として、今まで成り行きを見ていたクレシアが声をあげたのだ。
ロリエの動きが止まる。彼女の発した言葉に縛られたかのような、不自然な状態での静止。
「体が……」
彼女の血を体に入れ、女神の眷属になったから。女神の末裔の言葉には逆らえない。
神話の、御伽噺の世界のことだと思っていたが、体の自由がきかない。
「へぇ、便利じゃん」
きっと、女神が良しと言うまで動かないのであろう聖騎士を見上げる。
いっそクレシアが皇帝になった方が話が早いんじゃ……?
きっとだから、エルビラ家の血は今日まで皇族と交わることが無かったのだろう。
きっとだから、エルビラ家は断絶の危機にあっても血統にこだわったのだろう。
最強の皇帝の守り手である聖騎士を、唯一操れる存在として在るために。
皇帝が間違っている時に、諫めることが出来る存在として在るために。
「兄様、剣を!!」
皇帝というモノに魅力は感じない。なりたいと思ったこともない。それでも。クレシアが望むなら。
皇子であるよりも、もっとたくさんの大切なモノを守れるというのなら。
立ち上がり、ロリエをまっすぐに見据えて。
「剣はいらない。俺は逃げない。でも、殺されてやらない。あいつらの想いを叶えるのに、皇子で足りないって言うのなら、皇帝にだってなってやる。もう決めたから。お前が俺を認めないって言うのなら、それで構わない。殺したければやってみろよ。俺は絶対に死なないぜ?なんたって、俺ってば、天下無敵の不死身の皇子様だからさ」
いつかロリエだけじゃなく、たくさんの人の生きる理由になれるように、胸を張って生きていくと誓う。
今まで目を背けてきた分、与えられる想いに真摯に向き合うと誓う。
力強い黒曜石の眼差し。
あの日見たものと同じ、生き抜こうとする強い意志の宿った輝き。
「そんな眼をされたら、殺すのが惜しくなる」
呪縛が解けたのか、ロリエは座り込む。
ずっと追い求めていた光。今やっと巡り会えた。
もしかしたら理想と違うかもしれない。
それでも、期待してしまう。あの時死んだ仲間たちのように。
「殺すのはまたの機会にします」
「そりゃどうも」
そのまま、聖騎士は頭を垂れる。
彼が跪くことが出来るのは皇帝に対してのみ。それ以外は、古より続く女神の血が許さない。
「神代より受け継がれし、神と悪魔との盟約のままに。我が心、主と共に永遠に」
エルビラの血は、一代に一人しか聖騎士を生み出せない。
聖騎士であるロリエが膝を折ったのはスコッティ。
皇位継承は免れない。
何でこんなことになっちゃったかな。
スコッティはため息を一つ吐き。
気乗りしないが、幼い頃聞いた御伽噺にも出てくる盟約の文を、朗々と歌い上げる。
「ここに誓おう。
 君から譲り受けたこの国を枯らさない。
 君が与えてくれたこの喜びを忘れない。
 僕が悲しみと寂しさを忘れぬように、遠くで見ていてくれ。
 君が愛するこの国を守ろう、永久に」
「儀式は済んだようだな」
低い声がかかる。
今まで閉まっていた扉が開かれており、そこには初老の男の姿が。
非情の皇帝、ソフィ・クリネックス。
本当は、合理的な手段を選ぶ皇帝の手からこぼれ落ちる人を助けるために戻って来たのだ。
「みたいだね。皇帝を正式に継ぐ前にさ、どうしても聞いておきたいことがあるんだけど?」
返る言葉は無い。無言という返事。
「どうしてエルフォーレ訓練施設のやつらを、エルモアへ送った?」
あの時、他にも動ける兵はたくさんあったはずだ。当時ソフィは元帥の地位に居たから、他の領主が所有する軍だって動かせた。
それなのにエルモアへ送られたのは私設軍の少年兵。
この選択が無ければ、彼らが傷つくことはなかった。彼らが死ぬことはなかった。
どうしてこの選択だったのか、納得したかった。
口を開いたソフィの表情は冷たい。まるで、何を今更と言わんばかりに。
「私が継承の儀を受けるまで、急いでも一週間の間があった。生き残る確率が一番高い兵士を選んだだけのこと」
継承の儀を受け、皇帝になれば、帝国軍を動かす力が手に入る。
皇帝が決まったと諸国に伝われば、侵略してくる国もなくなる。
エルフォーレ訓練施設の子供たちは、ソフィの考え通り生き残った。
彼らが助かる間際で命を落としてしまったのは、スコッティの過失だ。
それでも。
「エルモア戦役から帰って、生き残ってるのは俺と、ロリエだけだって聞いたけど?」
戻って来た子供たちはその戦績が称えられて、皇帝の指導の下、貴族の養子として優遇された。
しかし。生活が保障されても、心に負ったものは埋まらずに。
「あやつらが死んだのは、心が弱かったからだ」
合理的にものを計るソフィには、人の心の脆さは解らない。
どこまで行っても相容れない。
「そうかよ」
「聞きたいことはそれだけか?広間に人を待たせてある。行くぞ」
踵を返す。
遠ざかっていく父の背中。
広間では、次期皇帝選定を祝う晩餐会が開かれているはずで。
全てがアイツが仕組んだことのように思えて、追う気になれなくて立ち尽くしていると。
「兄様?」
可愛い顔に覗き込まれる。中性的な、黙ってれば少年に見える顔立ちも、兄が戻ってきた喜びで少女の表情をしている。
そちらに視線を移すと、顔をさらにほころばせて。
「兄様が皇帝になってくれて、良かった。きっと、エリエール号のみんなも喜ぶと思う」
「そっか。そうだな」
心が和らぐ。笑顔になる。
「あと、お誕生日、おめでとう」
家出してからというもの、祝う機会が無いから忘れていた。
クレシアに言われて思い出す。
が、喜ぶでもなく、スコッティは半眼で中空を眺めやり、呟く。
「……めでたいのかねぇ」
欲しくもない皇位を押しつけられて、むしろ最悪な誕生日とも言えなくはない。
これからのことを考えると気が滅入りそうになる。
十歳そこらで城を出てから、スリムによって礼儀作法や最低限の知識は与えられてはいるものの、政治とか外交とか国を動かすのに必要な教育を受けていないのだ。
いくら周りの人間が有能でも、王が無能では国が立ちゆかない。
面倒くさい。船に帰りたい。シューのシチューが食べたい。
「兄様?」
早速家出を考え始めたスコッティを、不安そうな目で見つめる妹。
彼女は彼が生きていると信じて、彼を忘れずに二十年もの間、待っていたのだ。
再び失う恐怖を、無意識に感じているクレシアを安心させるように、頭に手を置き、笑む。
「俺はもう、どこにも行かねぇよ」
守るべきもののため。生きる理由のため。
与えられる想いから逃げない覚悟が出来たから。



end.




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