「来たる未来の前奏曲」
ここが巨大な木の中とは思えない、石造りの内装。クリーム色の床には幾筋もの線が彫られており、幾何学模様を描き出している。目をこらして見てみると、白い壁にも同じ様に紋様が刻まれている。魔術的な物なのか宗教的意味合いのある物なのか。妖精女王の居城だから、ただの装飾ではないと解っても、ここの国民でもなく、魔術にも詳しくない者に判別は不可能だ。
難しい顔をして部屋の中を眺めていたザクに声が掛かる。
「会うたびにお前は難しい顔をしているな。悪い知らせか?」
「いえ、あの。見たことのない模様だったので、何か意味があるのかなと思って」
フェミアに面差しの似た、しかし対照的な鋭い印象を持ったネリアに問われて、ザクは思わず素直に答えてしまった。
彼女の前に立つと、圧倒されてしまう。フェミアの件もあって、やましいからというのもあるが、それ以前からネリアの前ではこうだった。王子という立場上、幼い頃から位の高い人間と関わることが多かったというのに。
「そうか」
ザクの返答を聞いて、ネリアの表情が和らぐ。微笑みを浮かべても、凛とした態度は崩れない。
馬鹿なことを言ってしまったと半ば後悔していたのだが、彼女の態度に安堵する。
ネリアは、愛しい思い出に触れるように壁に手を触れて溝をなぞり、ザクの疑問に応じる。
「これは、フェミアが彫ったものだ。これの他にも、色々な部屋に彫り込まれている」
「え」
「なかなか芸術的だろう?これが彫り込まれた頃、フェミアは幼かったから、ただの悪戯だと思われて叱られたりもしたのだが……」
「悪戯では、無いんですか?」
悪戯好きの彼女を知っている身としては、「特に意味は無いのだけれど」という選択肢を捨てきれない。
ネリアはザクの対面に座り、給仕の女性を下がらせ、会話を再開する。
「これは、この……紫眼の能力を抑える腕輪の設計図だ。他の部屋も、紫眼に関する物の設計図や預言が刻まれている」
言われて、もう一度床に彫られた模様に目を向けるが。
「……とてもそうは見えません」
ザクの素直な感想に、ネリアは薄く笑って。
「ああ。私にも信じられないんだ、その感想は当然だろう。だが、学者連中にはこの模様の意味が理解出来るらしい。だからこのようなモノを作れた訳だが」
彼女が手を振ると、腕にはめられた金色の輪がシャランと澄んだ音をたてる。
その音色は、まるでフェミアの声のように美しい。
「その学者にも、100パーセント読み解けるというわけではなくてな。その設計図や預言が必要な時に、必要なだけ読み解ける魔術的細工がなされている。結局、全てを知り得るのは先見の神子、フェミアだけのようだ」
壁に向けられていたネリアの強い眼差しが、愛しい妹を見る目に変わる。
今はもう、微笑む顔を見ることも、その声を聞くことも叶わない、最愛の妹。
「俺がッ……」
あの時の感情が蘇る。
己に対する無力感、憤り。
「俺が守れなかったばかりに……」
愛しい者を失った気持ちは痛いほど解る。それ故に、ザクは顔を上げることができなかった。
自分よりも長い時を共有してきた存在だから、悲しみは深いはずだ。怒鳴られても、痛めつけられても、殺されても、仕方ないとさえ思える。
一度、彼女の前で己の無力を詫びたことはあった。その時は謁見の間で、回りにたくさんの家臣たちがいたから、労いの言葉のみだったのだが。
今、この部屋にはネリアとザクしかいない。彼女が「妖精の王」として取り繕う必要は無い。
「……あの子は最後に、お前に何と言った?」
予想していなかった言葉に、顔を上げる。彼女の表情は、凛とした美しさをたたえたままで。
怒りも悲しみも見えない、真っ直ぐな瞳に射貫かれて。
「お前と別れる間際。あの子はお前に何と言葉をかけた?」
目を閉じれば、鮮やかにあの日の記憶が蘇る。
ケット・シーの村へ出かける直前に言葉を交わしたのが、最後の記憶。
「私のわがままに付き合ってくれたこと、とても感謝しているわ」
永遠の別れかのように礼を言われて。
「気をつけて行ってきて。私は大丈夫だから。心配しないで」
そして、その後に。
「ありがとう。ごめんね……と」
ザクが答えると、そうかとネリアは呟いて。
「フェミアが命を落としたのは、お前のせいではない。あの子は稀代の先見の神子だ。己の行く末も見えていたはず。それなのに道筋を変えることをしなかった。お前はあの子の『わがまま』に付き合わされただけなのだよ」
「……ッ。しかし!」
自分に力があれば、運命を変えることが出来たかもしれない。
彼女の考えに気づいていたのに、止めなかった。それは、自分が彼女を殺したのと同じじゃないか?
あの時、お願いを無視してでも一緒にいれば、違った未来があったのではないか?
「お前はそんな顔をしてばかりだな。今に眉間のしわが取れなくなってしまうぞ」
ツンと額をつつかれ、見た先にはフェミアのような悪戯っぽい微笑み。
重なる面影に驚いて思考に穴が空く。そこへ、彼女の言葉が滑り込んでくる。
「納得できないのは私も同じだ。だからと言って、ずっと悲しみや後悔に囚われていてはフェミアが悲しむ。ザク。あの子はどんな子だった?」
フェミアは、どんな人だったのか。自分が守ろうと決めた少女は、どんな存在だったのか。
今までずっと、自分の罪に、後悔に隠されて見えなくなっていた部分が、霧があけたかのように鮮明になる。
「フェミアは……他人のために自分が何が出来るのか、常に自分よりも他人の幸せを考えている人でした。彼女は、他人の笑った顔が大好きだと言っていた……」
ザクの答えに、ネリアは頷き、
「フェミアを思うなら、あの子が喜ぶ様なことをしてやって欲しい」
フェミアが喜ぶこと。フェミアの遺志。
自分の今やっていることは。ルルと共に、ナイゼルを討とうとしているのは、正しいことなのだろうか?
確かに彼の組み上げた魔法は、とても危険なものだ。たくさんの人の命が失われた。しかし、それはナイゼルを殺す理由にはならないのではないか?
「俺は……俺の選択は間違っていたのかもしれません」
「間違えない生き物など、この世には存在しない。大事なのは、間違いから何かしら学ぶこと、学んだことを生かすことだ」
「そう……ですね」
肩の荷が下りたかのように、思考が自由になる。
これからどうするべきなのか。自分に何が出来るのか。
次々に疑問が浮かび、答えが生み出されていく。
表情が明るくなったザクの様子を、ネリアは満足げに見つめて、ティーカップを持ち上げる。
「知らせがある、とのことだったが。こちらからも一つ、報告がある」
ティーカップを戻したネリアは、普段通りの戦乙女の顔に戻っていた。
「ナイゼルの魔法を解く方法が解った」
「自律魔法は解除不可能……と聞いたのですが?」
だから、ナイゼルの居場所を必死で探していたのだ。どんな起動形態の魔法でも、魔法を作り上げた本人なら解除することが出来る。
「預言の《ブルー・コスモス》に関する部分が解読できた。今、お前たちにかけている魔法の範囲が広がったものだと思って間違いない」
ナイゼルが世界人類にかけた断罪の魔法《ブルー・コスモス》。それは、「罪」を犯した者全てに等しく罰を与える魔法だ。ナイゼルを探して、彼の崇拝者と戦うザクたちに被害が出ないよう、今はエルフの魔法で中和処置を取っていたのだが。
「それでは……!」
「ああ。だが、この魔術を発動するには時間が必要だ。万一、気づかれて妨害されれば、我々に打つ手は無くなる」
「発動までの間、ナイゼルの注意をそらせばいいんですね?」
ザクが尋ねると、ネリアは頷く。
「できるか?」
「はい。俺がここに来たのは、アレントの支援をお願いするためでしたから。とても頼もしく思います」
自然と顔がほころぶ。良い知らせに、緊張が緩む。
「ナイゼルの居所がわかったのか?」
ネリアの質問に、ザクが首肯で応じると。
「では、決戦は次の新月の晩……4日後に」
魔術に適した新月の晩、ネリアとの約束通り、ザクとルルはナイゼルに戦いを挑み。
その最中発生した七色の光に彼らは飲み込まれた。
そして、彼らの物語は四百年後の未来へ続く。