「皇子のたしなみ」


立ち上る黒煙。赤く燃える炎。
全てを焼き尽くし、その熱で空気を揺らがせる。
怒号や悲鳴は爆発音がするたびに小さくなってゆく。
鮮血の紅、炎の赤、そして。
「あ、悪魔だ」
揺らぐ視界の向こう、口元に笑みを浮かべる一人の男。
彼が身に纏うのは、悪魔を連想させる闇色の外套。
外套と同じ黒い髪、人間とは思えない整った面差し、あまり見かけない紫色の瞳。
悪魔だ、と思った。
背には急峻な山、目の前にあるのは王都から遠く離れた辺境の村。
山を越えた先にある都で盗みを働き、村にいる少女たちを弄ぶ日々。
誰も彼らを裁けないと思っていた。
例え、山を越えて貴族の編成した討伐軍が押し寄せたとしても、この盗賊団は腕に覚えのある猛者揃い、魔法を使える者だっているのだ。追い払うのは楽勝のはずだった。
なのに。
やってきたのは男が一人。
たった一人で無敗の盗賊団を壊滅まで追い込んだ。
盗賊団のリーダーも男に殺され、戦意を失った者たちは散り散りに逃げ出す。
「《劫火》」
淡々と紡がれ発動された魔法が、逃げ出した者たちを包み込む。
女子供、関係ない。動くものは全て、魔法の炎の餌食となる。
男の顔に浮かぶのは、微笑み。
まるで蟻が逃げ惑うのを楽しむ幼子のような、純粋ゆえの残忍さを持った微笑み。
誰も、逃げることは出来ない。
誰も、生き残ることさえ出来ない。
足が震える。逃げることさえ忘れる。
男が近づく。
「山の向こうの都へよく行くと聞いたが、抜け道があるのだろう?在処を教えろ」
目を合わせた者、全てが凍り付きそうなくらい冷たい、射るような眼差し。
「そんなもの、知らねぇ。そんなん有ったら討伐軍が何度も来てる」
「……そうだな」
血しぶきが舞う。それが自分の体から出たものだと気づく前に、盗賊は事切れる。

こうして、麓の村を困らせていた盗賊団はいなくなった。


「三人が三人、知らないと言うからには、抜け道なんて無いんだろうな」
盗賊が宝物庫として使っていそうな洞窟の中を足早に進みながら、ルルは思考を整理する。
洞窟と言っても、人工的に岩肌をくり抜いて作られた、あまり長さも幅も広くない空間。
先ほどの騒ぎで、ここに逃げ込んだ残党もいるだろうと思ったが、人っ子一人いない。
「四百年も経っていれば、地形も変わる……か」
ルルが知る限り、アレントへ行くには二通りの行き方があった。
一つは、ここからは遠回りになる、平地を行く道。
もう一つが、近道だが、急峻な山を越えてゆく道。
あの頃は、この山を楽に抜ける道があったのだが。
「……遠回りにはなるが、平地を行くか」
体力、装備、追っ手、色々なことを総合して、そう結論を出した。
「さて」
目の前の扉に目を向ける。
他の扉とは違い、錠がいくつも付けられた、明らかに大事なものが置いてありそうな部屋。
「《鎌鼬》」
ルルの放った風の魔法が、鋼鉄の扉を切り裂き、バラバラにする。
錠開けの魔法は知っているが、ここまで派手に暴れたのだ、今更そんな上品なことをする必要は無いだろう。
扉の内部は、思った通り、金銀財宝の山。
その中から、持ち歩きが楽で、価値が高そうなものを選別する。
幸運なことに、貨幣の種類も物の価値も、ルルが生きていた四百年前と違いがない。
「これは?」
物色する手が止まる。金貨が無造作に詰め込まれていた箱の中に、古めかしい書物が混ざっていた。
焦げ茶色の、「日記」と金で箔押しされた本。
でもこれは、日記などではない。
「ルール・フラグメ」
道を聞きがてら旅費を稼ごうと思って来ただけなのに、思わぬ掘り出し物。
これがあれば、ナイゼルの居場所もすぐに解る。
本を開く。が。
「……?ロックされている?」
どこを開いても、普通の書物と何ら変わりのないページばかり。この本から普通とは違う力は感じるから、ルール・フラグメであることは間違いないはずだが。
誰か、上位のルール・フラグメ保持者が、他の使用を禁じたのかもしれない。
舌打ちをして、書物を燃やす。使えないのでは意味がない。
「さて、と」
村で提示された、盗賊団壊滅の際に支払われる礼金の、数百倍の金額に値する物品をまとめる。
彼らの願いを断ったのは、このためだ。
仕事として請け負えば、見張りが付くから、金品の強奪は行えなくなる。それに、ナリも付いてこようとするだろうから、自由に振る舞えなくなる。
「こんなもので良いか」
村長の頼みを断った時の、ナリの悲しげな顔が浮かぶ。
きっと、あの顔も明日には晴れやかになるだろう。
生存者がいれば、いずれまた村に被害を及ぼすから、皆殺しにした。それを彼女が知れば悲しむだろうが、そんな詳細に噂は伝わらないだろう。
あとは、浴びてしまった血の匂いを消すだけ。
ルルは踵を返した。



「おはようございます、お兄様」
外の天気と同じで、明るい笑顔。太陽はもうすでに頂点に達している。ナリの目の前に並べられているのは昼食だ。村で取れた野菜を使った、貧しいが精一杯のもてなし。
「おはよう」
柔らかく微笑んで、優しい兄を演出する。
「山の盗賊団が壊滅したって今朝から皆さん大喜びです。……お兄様が行かれたんですか?」
昨晩、出かけた気配があったから。今朝、珍しく寝坊しているから。そうなのだと思った。
が。
ルルは苦笑して応じる。
「いや。俺のはただの寝坊だよ。そうか、盗賊団は壊滅したのか。よかったな、ナリ」
そして、極上の微笑みを浮かべる。その笑顔に、疑惑は溶けて無くなる。
「はい、お兄様」
兄につられて、少女も幼さの残る顔に笑顔を浮かべた。



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