「令嬢と皇子と魔女と女帝」


「フェミアの……生まれ変わり!?」
 振り返ったルルの顔は、驚愕に彩られている。
「フェミア……?」
 単語の意味が解らなくて、ミリィは首を傾げる。生まれ変わりと言うからには人名なのだろうが、歴史上の人物にすら思い当たる者はいない。ルルの個人的な知り合いなのだろうか。
「信じられない?なら、会わせてあげるわ」
 厳かな動きでナリの指先が踊り、宙に印を刻んでいく。彼女がパチンと指を鳴らすと、先程刻んだ印がミリィの足下に現われる。
 金色に輝く、円と線で構成された複雑な魔法陣。教科書には載っていない法則で描かれた高度な魔法。この魔法の仕組みは解らなかったが、話の流れからすると、そのフェミアという人を呼び出す魔法なのだろう。
 演劇や小説で前世が取り上げられることは多かったし、精神的な病気を癒すため、記憶をさかのぼる治療法などがあることも知っていた。自分の前世には興味があったし、この魔法が前世を呼び覚ますだけの魔法なら、害は無いはず。
「って、大人しくしてるわけ無いでしょ!」
 直感的な部分で危険を感じ取り、ミリィは円の外に逃げようと足を踏み出す。この魔法を生み出したのは、ルルの母親とは言え、ナリの身体を乗っ取ったあの強欲な魔女なのだ。前世を呼び覚ます以外の危険もあるかもしれない。
 あと半歩進めば円の外に出るというところで、魔法陣が一際大きく輝いた。
「逃げられないわよ」
 ナリの言葉に呼応するかのように魔法陣から飛び出した光の糸が、ミリィを束縛し円の中に閉じ込める。そして、術式に必要のないルルを、円陣からはじき出す。
「ルル……助けて……」
 必死で手を伸ばそうとする。が、その手をつかむ者はいない。
「……ミリィ……」
 いつもは高いところから見下ろすような、冷たい容貌のルルが、今は迷子になった幼子のような表情を浮かべている。
「さあ、思い出すのよ。そして、ルール・フラグメの封印を解きなさい」
 魔法陣から発せられる光量が増していく。
 キラキラと光の粒が舞い、幻想的とも言える光景が広がる。
「ああ、綺麗……って、そんな余裕ぶっこいてる場合じゃなくて」
 早く逃げ出さなくちゃ。
 どうすれば逃れることが出来るのか、必死に考える脳に、囁く声が聞こえる。
「フェミアが誰なのか、気にならない?フェミアが誰なのか、知りたくない?」
「……それは当然、気になるけど……」
 ルルのあの表情を見れば、フェミアが彼にとってどういう存在だったのか想像がつく。どんな人なのか、興味がある。
「じゃあ、教えてあげる」
「え……?」
 目の前に、今までと違う景色が広がる。
 無邪気に笑いかける黒い髪の少年。茶色い髪の彼は、不器用だから花冠が上手く作れなくて。お仕事が忙しいお姉様にお茶を入れてあげるのが私の仕事で……。
 自分の知らない記憶が流れ込んでくる。知らないのに知っている。居心地の悪い感覚。
 走馬燈のように駆け巡っていたフェミアの記憶が、赤い色を最後に途切れる。
「フェミア……?」
 魔法陣が消えた先に、黒髪の青年の姿。幼い頃、私が病気で寝込んだ時と同じ表情を浮かべている。
 私は立ち上がれずにいた。
「大丈夫か?」
 ナリにしか見せない優しい顔で、こちらを見つめるルル。
「ルル」
 見知った顔に安堵し、涙がこぼれる。不安と衝撃で、話し出すと止まらない。
「槍に……槍に刺されたの。私の記憶じゃないのに、すごく痛くて……本当に痛くて。ルルと、ザクと、小さい頃からずっと仲良しで、姫様よりもフェミアって呼んでもらうのが好きで……でも、私はカジャールで生まれて、ミリィって名前のはずで」
 自分のものではないはずなのに、自分で経験したかのような鮮明な記憶。
「……私、誰なんだろう……?」
「それは……」
 ルルは目をそらす。
 ミリィの問いに答えたのは、ナリの姿をした強欲な魔女だった。
「アナタは今日から私になるの。だから『誰なのか?』なんてどうでもいいのよ」
 瞬間的にミリィの横に移動したナリが、小さい体には考えられない強い力で、座り込むミリィを立ち上がらせる。
「さあ、アナタの全てを頂戴」
 強く抱きしめられ、動くことも出来ない。頬に添えられたナリの手が、死んでいるみたいに冷たい。
 魔女の妖艶な微笑みが近づいてくる。その唇で、力も心も全てを貪り食らうのだろう。ミリィという存在に成り代わるために。
 ナリと同期している時に感じた嫌悪感が蘇る。
「嫌!」
 抗おうと力を込めた瞬間、束縛が解けた。予想外のことに、勢い余って尻餅をついてしまう。
「あら、邪魔するなんて悪い子ね」
 正面に意識を向けると、魔法の攻撃が残した煙が立ち上っている。
 煙の先に見える、ナリとは思えない冷たい眼差しに映るのは。
「セラ!?」
「ミリィ、逃げろ。お前は、お前だけはあいつに捕まってはいけない!」
 セラは、距離を空けたナリとミリィの間にその身を滑り込ませ、盾になるかのように手を広げる。
 ナリはその姿をあざ笑う。
「友情ごっこ?美しくて笑っちゃうわ。でも残念」
 魔女は右手を上げる。逃げることも、魔法を準備することも出来ずにいる2人に、戦慄が走る。



「アナタに出来ることなんて、何一つ無いのよ」



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