「ミカエリス編〜牢獄」


ぴちょん……


 冷たい雫が頬に落ちて、目を覚ます。
「ここは……」
 高い位置に小さな明り取りの窓があるだけなので、室内はとても薄暗い。作りが甘いのか、雨水がポタポタと垂れてくる。肌に冷たさを伝えてくる床には絨毯も何も無い。
 ぐるりと周囲を見回す前から、次はどこで目を覚ますことになるのか想像はついていた。
 三方を壁に囲まれ、残り一方は鉄格子。一見簡単に逃げ出せそうに見えるそれらには、全て魔法除けのまじないがかけられている。魔法を使える罪人を閉じ込めておくための牢獄。
「ミリィ……」
 予想通りの状況の中、予想外の存在を見つけて傍に寄る。魔力が完全に回復していないのか、体がだるい。少し動いただけでも息が上がる。
「ミリィ?」
 魔力を吸い取られただけの自分でも、ほとんど回復していないのだ。魔力を使い切ったミリィが目を覚ますとは思えなかったが、彼女の肩を揺らす。
 彼女は静かに目を開く。そして起き上がる。
「体は何ともないか?だるいとか、痛むところは?」
 ルルの問いかけに答える声はない。少女は無表情のまま首を傾げるなどもなく、心配するルルの姿を静かに青い瞳に映している。
「……ミリィ?」
 表情が豊かなはずのミリィの様子に、戸惑う。
 あんなことがあった後だ。呆然とするのも解る。が、それとは何かが違う感じがする。まるで、感情が抜け落ちたような……。
「やあ。目が覚めたみたいだね」
 振り返ると先程まで暗闇が広がっていたはずの鉄格子の向こうに、人の姿。 
 銀の髪にシルバーフレームの眼鏡、軽薄そうな笑みをたたえた彼は。
「牢獄なんて初めての体験なんじゃないかな?居心地はどうだい?」
「何度入っても慣れるものではないな」
 ロイの質問に素っ気なく応じ、立ち上がる。
「あれ、初めてじゃないんだ」
「小さな頃、母さんに何度か入れられたことがある。……そんなことより」
「さすがは成り上がり者の女王様。やることが過激だねぇ」
 立っているのも辛いのだ。早々に本題に入らなくてはと思っていたのだが、マイペースな彼の言葉に引っかかる。
「成り上がり?」
 どういうことかと問うルルの眼差しに、ロイは簡潔に答えた。
「君の母君マリアンネ様は、平民の生まれだよ。知らなかったのかい?」
「……知らなかった」
 幼い頃、悪戯をするたびにお仕置きとばかりに牢獄へ入れられていた。それを同じ王族の身分であるフェミアやザクに話した時、驚かれたのはそういう差があったからなのか。
 ナリのことも、フェミアのことも気づかなかった。
 自分は知らないことが多すぎる。
「ミリィ君はどうだい?」
 声に反応はするものの、先程と同じく返事は無い。
「ミリィの様子がおかしい。医者に診せることは出来るか?」
「あれぇ?ここから出れるか〜の心配は無いのかい?」
 質問に質問で返される。半ば苛立ちながら、ロイの手元を指し示す。
「お前は天使族だ」
 この国のエルフはそうでもないが、世界的に見るとエルフや天使は「神に連なるもの」という扱いを受ける。人間よりも高度な魔法を使用できたり、未来を見通したりする者が生まれやすく、かつ長命だからなのだが。それ故に信頼され、要職を任されることも多い。彼が特に高い地位に就いていなくても、天使族であることが解れば、ここの鍵を手に入れることは造作もないはずだ。
「俺たちの身柄を引き取るつもりがあるから、その鍵を持っているんだろう?」
「あは。ばれてた?」
 金属の輪に繋がれた大量の鍵が音をたてる。いくら天使族でも、こんな底の見えない男に牢獄の鍵を全て渡してしまう、ここの主の気が知れない。
 無機質な音と共に、鉄の扉は開かれる。
「まずはお医者さんかな。あと、何があったか教えてくれるよね?」
「……ああ」
 その気だるさから、ため息を吐くようにルルは答えた。



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