「アクマの娘〜序曲」
パキンと、何かが壊れる音がした。
・×・×・×・
親のお使いを手早く済ませ、台所の戸棚を開く。しかし、後で食べようと、しまっておいたプリンが無い。まさかと思い、最近家に泊まり込んでいる従兄弟にあてがわれた部屋の扉を無遠慮に開ける。
案の定、愛しのプリンは机の上にあり、無残にも器を残すだけの姿となっていた。
「泥棒!私のプリン返せ!!」
あれは塾の女の子たちの間で流行っている有名店の、それも1日10個限定販売の品物で、なかなか手に入らない物だというのに。
このプリンを食べることを楽しみにしていた少女は、勝ち気な面差しにうっすら涙を浮かべ、目の前の少年に食ってかかる。
きっと彼はいつもの通り、無表情で詫びるのだろうと思っていた。
だが、彼はあからさまに顔を歪めて。
「君の母上が出してくれたもので、僕はこれが君のものだとは知らなかったんだ」
だから泥棒ではないと言いたげな様子。
予想外の出来事に、少女は言葉を失う。
親戚だから、幼い頃から面識があった。物心ついた時から、彼は表情の乏しい子供だった。事なかれ主義で、言いなりで、自分どころか感情すらも無くて。少女とは全く正反対の、操り人形のような人間……だと思っていた。
少女は、どんなに酷い目にあわされても無表情だった彼の表情を変えられたことに、優越感を抱く。
その日から、少女は彼に会うたびに「プリン」と言うようになった。
数十年が経ち、実家の家業を継いだ彼女は内閣府にいた。
国主のおわす紫宸殿を目指し、真っ直ぐ進んでいると、銀色の髪の男が横切る。この国では銀髪は珍しくないが、一目で彼だと気づいた。
いつものように声をかけてからかってやろうと、後を追う。
角を曲がると、同じ制服を着た人間に囲まれる彼がいた。
「……」
あの頃、彼女がプリンと言わなければ表情を変えることの無かった彼が、たくさんの仲間に囲まれて微笑みを浮かべている。
ずっと、自分だけのモノだと思っていたのに。
しばらくして、彼女は気づく。
彼の気持ちを溶かしたのが、ずっと傍に居る副官だと。
奪われたような気がした。先に彼に心があると気づいたのは自分だったから。
負けたような気がした。自分では「嫌」の感情しか引き出せなかったから。
だから彼女は、彼に関わるのをやめた。ずっと見たいと思っていた彼の笑顔を見ると、心が張り裂けそうになるから。
しかし、彼は。愛しているはずの副官をその手に掛け。
そして国外に逃亡した。
彼と副官の幸せを願う感情と、彼への未練。
二つの違う思いが渦巻き、安定を失う。
心が闇に囚われる。
「欲しいのなら、手に入れてしまえば良いじゃない?」
闇が心に囁く。
「恋しいのでしょう?ワタシが力を貸してあげるわよ?」
アクマの甘言。アクマ使いは、常にアクマに体を狙われている。少しでも気を許してはいけない。
違う違うと、自分に言い聞かせる。
「ロイを奪ったシュンユゥが憎かったんでしょ?憎い仇がいなくなって、良かったじゃない?」
シュンユゥ。それがあの副官の名前。
彼の口から一番聞きたくない言葉。
・×・×・×・
「シュンユゥ君も言ってただろう?」
その言葉を聞いた瞬間、パキンと何かが壊れる音がした。