「アクマの娘〜間奏曲」
手入れされているとはいえ、森の中は木々が密集していて月明かりも届かない。その暗闇の中を、明かりを持たずに走る人影がいた。木立の合間を駆けてゆくその姿は、まるで狩りをする獣そのもの。夜行性の動物と同じ風景が見えているかのような動きで、彼女は障害物を軽々と避け、さらに加速していく。
こんな動きが出来るのは、日頃の鍛錬の他に、魔術具の力があるからだ。彼女が身につけている金細工の腕輪が魔術具であり、先祖代々受け継がれるそれには、物体を破壊する能力の他に五感を増幅する働きがある。
もっと速く。
彼女の意思を感じ取った魔術具の心臓部分である赤い宝石が、淡く光を放つ。素早い動きが、通った場所に光の筋を残してゆく。
急いで戻らないと。
焦燥に駆られる。残してきた少女の身が心配なのだ。街に程近いとあって、この森は生き物の気配が希薄だから、野生動物に襲われるという危険はほぼ無いと言える。それに、夜盗の類に襲われても傍に居るロイがなんとかするだろうが、そのロイが危険なのだ。女性であれば誰でも声をかけ、求婚を申し込んだり、風呂場を覗いたり……とにかく、ロイは見境のない変態なのだ。だから、急いで戻らなくてはという気持ちが募る。
などと目標に向かいながら考え事をしていると、途端に視界が開ける。
そこだけ木々が無い、広場のような空間。白い可憐な花が地面を覆い隠しており、月明かりを反射して、とても幻想的だ。
「君は……」
その美しい花畑にいた男が、こちらに気づいた。
ロイに探して連れてこいと言われた男とは違う、白を基調とした騎士を思わせる装飾を施された、きっちりとした服装をした男。服装とは真逆の、柔らかい表情のこの顔を過去に見たことがあった。
「あんたはグランドリオンにいた……」
「何か用か?」
遅れてカノンに気づいたもう一人の男が、無遠慮に声をかけてくる。騎士服の男とは対照的な、冷たい雰囲気を持った男。カノンが探していた人物、ルルだ。
彼の物言いにムッとしながら、カノンは口を開く。
「……一人じゃ戻れないだろうから迎えに来たんだけど」
「そうか」
「仲間なのか?」
迎えに来るのは当然といった体のルルに、騎士服の男が問いかける。
「仲間の従者だ」
ルルの返答を聞き、男はカレンに歩み寄る。
「俺はザク。これから一緒に行動させてもらおうと思ってる。よろしく」
一歩手前で立ち止まり、右手を差し出す。服装と同じで、お堅い性格のようだ。
「あ、ええ、よろしく」
「君の名前は?」
柔らかく微笑んで、ザクは尋ねる。
「従者の名前なんて聞いてどうするんだ?」
その様子を不服そうな顔で見つめるルル。他人の従者であれ、従者は従者として扱う。やはり彼は良家の子息なのだろう。
「どうするって……名前を知らないと呼べないだろう?それに、俺だって従者だよ」
「違う!ザク、お前は」
「違わないよ。あの日から俺はフェミアの騎士だ。従者に名前はいらないっていうなら、俺のことも”おい”とか”お前”でいいよ?」
そうルルに応えて、ザクは再びカノンに視線を合わせる。
「それで、君の名前は?」
「……カノンよ」
ミリィともまた違う、初めて出会うタイプの人間。「フェミアの騎士」という言葉が気になったが、言い出せず、どう接していいのかも解らなくて、ぶっきらぼうに答えてしまう。
それなのに、彼は顔を綻ばせて。
「カノン、か。いい名前だね」
どこかの女ったらしが言っていたものと同じ台詞をさらりと言ってのける。が、ロイが言うのと違い、こちらは彼の誠実そうな雰囲気もあって破壊力甚大だ。普通の状況なら、彼に恋してしまうだろう。が。
ぐぅぅぅぅぅ。
彼の言葉が終わるか否かの所で、空腹を訴える音が響き渡る。
しばしの沈黙の後。
「そういえば、朝から何も食べてないんだよね」
苦笑いして、ザクは言う。照れ隠しに頭をかく動作も爽やかだ。
「カレーが残ってるから、食べる?」
「ありがとう」
カノンの提案に、再び笑みを浮かべたかと思った次の瞬間、鋭い眼差しを向けてくる。
「え?」
事態が飲み込めずに疑問符を浮かべているカノンに、ルルもザクと同じ表情で問いかける。
「気づいてないのか?」
「気づくって、何を?」
彼らが向ける視線の先にあるのが、自分ではなく、自分の後ろにあるものだということは解った。が、ルルが気づける気配なら自分も気づけるはずなのだが、全然ピンと来ない。
「何かいるの?」
と、今まで何も感じなかった場所に、たくさんの獣の気配が突如として出現する。
しかもその方角、距離は、ロイとミリィがいる場所のはずで。
「ロイさんとミリィが危ない!」