「アクマの娘〜輪舞曲」


 静かな森に響く、獣のうなり声。鉄の鎧であろうと簡単に引き裂く獰猛な牙。飢えた瞳は赤く輝き、眼前の獲物にひたりと据えられている。その数は五。少し腕に覚えがあれば、野生の獣に囲まれたとしても驚異には思わない数だろうが、彼らを取り囲んでいるモノは生き物ではない。人の悪心から生まれ、人の負の感情を食らって成長する魔物、アクマだ。
「ふふ。ふふふふ」
 そのアクマの群れの中心で、赤い異国の服を着た女性が嬌声を上げる。陶酔したかのような、焦点の定まらない眼差し。アクマ使いの一族として、精神的に常人離れした所があったにしても、様子がおかしい。
「紅狼、下がれ。これは私の戦いだ!」
 剣を突きつけられたまま、セシールは気丈に言い放つ。中尉殺害の手配犯に追い詰められている状況で出る言葉とは思えない、真っ直ぐな言葉。まだ彼は、ロイのことを信頼しているのだろう。その姿が好ましくもあり、悲しくもあって、ロイは顔をしかめる。
 主の言葉を聞いても、狼たちは引く様子を見せない。逆に、その数を増しているようにも見える。
 視界の隅で青い影が動いた。セシールに付いていたお供の片割れが、眠っているミリィを抱え、狼の群れから距離を取る。玉兎の家系に仕える赤虎の血筋と対をなす青き竜の血統。彼は本能でこの異常事態を察知したようだ。
「紅狼!私の命を聞け!」
 再び声を荒らげるセシールと、それに反応を示さないラク・シャア=ラの姿を見比べて、ロイは口を開く。
「アクマ堕ちだよ」
「アクマ、おち……?」
 セシールは眉をひそめる。それは、心では解っているのに頭では理解出来ない、といった風で。
 ロイはセシールの首筋に当てていた剣をしまい、アクマの中心に立つ女性へと目を向ける。彼女は両手を広げてくるくると回りながら、ずっと笑い続けている。
 負の感情を求めるアクマと、負の心に囚われた人間が融合してしまった姿、アクマ堕ち。負の感情が渦巻く戦場にいることが多かったロイには、何度も見る機会があった。
「しかし、アクマ使いはアクマに耐性があるはず」
 肌で危険を感じているのだろう、セシールは再び武器をこちらに向けることはしない。
「耐性が普通の人よりあるだけだよ。絶対にアクマ堕ちしないってことじゃない」
 何よりアクマ使いは、アクマを操るために意識領域をアクマと共有化する。誰よりもアクマ堕ちの危険にさらされる存在。アクマに精神を乗っ取られアクマ堕ちしないために、アクマ使いはその精神を鍛えるか、心自体を無くしてしまう。ラク・シャア=ラは感情豊かだったから、前者だったのだろう。心を保ったままアクマを操るその姿は、稀代のアクマ使いとの呼び声も高かった。
「さあ、殺しましょう。私と共に逝きましょう」
 熱に浮かされる少女のように、フワフワとした物言いで、ラク・シャア=ラが右手をロイへ向ける。その表情は、恍惚としたもの。
「あなたは私だけのものになるの」
 彼女の言葉を皮切りに、狼たちは目の前の獲物に襲いかかる。
 抜刀術の要領で、収めた剣を抜き放つ動作で飛びかかってきた獣をはじき飛ばし、次いで来ていた獣たちを剣でなぎ払う。
「セシール君、ちょっと手伝ってくれないかなぁ?」
 剣を振るい、アクマたちを吹き飛ばしながら、ロイは困り顔で言う。
 ロイの剣は魔術的な処理など施されていない普通の剣であるから、風圧や衝撃で押しやることしかできない。魔法を使おうにも詠唱する時間も得られない。このままでは明らかに、こちらが不利だ。
「紅狼を殺すのか?」
 合間を見て視線をセシールに向けると、彼の眼差しに怯えが見えた。仲間を失うことへの不安がそこにあった。
「そうしないと僕たち、まとめて狼さんたちのご飯になっちゃうと思うよー?」
 いつもの調子で返事するロイの言葉を聞き、セシールは唇を噛む。
 そもそも、アクマ堕ちした人間は助からない。本国の法律では、アクマ堕ちは死刑と決まっている。
「アクマを消すだけだ。紅狼は生け捕りにする」
 刀を握る手に力を込め、セシールは言い放つ。その返答にロイは苦笑して。
「法律違反だねぇ」
 迫り来る狼たちに、今までよりも強力な衝撃を与える。こちらへの攻撃に隙が生じたところで、セシールと位置を交代する。
 と、狼の動きが止まった。セシールの構える刀がアクマにも効果があるものだと察知したのだろう。じりじりと狼との間合いが開いてゆき、そして花道を作るかのように、地面が見えないくらい増えていた狼の群れが二つに割れる。
 滑るようにその間を通り来るのは、その見かけもアクマと融合してしまったラク・シャア=ラ。彼女が纏っていた深紅の衣服の上に、狼と同じ揺らめく炎のような材質の甲冑がついている。
「邪魔をしないで?」
 歌うような囁きでラク・シャア=ラはセシールに微笑みかける。
「紅狼……!?」
 戸惑いで動けないセシールの首を、ラク・シャア=ラは掴む。
 セシールが盾にされては、ロイは魔法を発動することは出来ない。
「さあ、私のプリンになりなさい。私だけのプリンになりなさい?」
 彼女は妖艶な微笑みを浮かべて、ロイに手を伸ばした。



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