「姫君の願い」


突拍子もない、荒唐無稽な話。
それなのに、彼は戸惑うことなくフェミアの話を受け入れる。初めは冷静に吟味していたようだったが、今ではそんな素振りはない。
話術に飲まれているとか、他人の言葉を信じやすいとか、理解して受け入れる能力が高いとか、そういうものは関係なく。
ザクは彼女の言葉に納得していた。
フェミアがそう望んだから。
それが紫眼の能力。
忌むべき、紫眼の力。
「それで、魔術具とルール・フラグメの違いなんだけれど」
フェミアはザクを悲しげな目で見つめる。
この力を使えばこうなってしまうことは解っていた。そして、このまま話を続ければ、フェミアの望みは必ず叶えられる。
この願いは叶えなくてはならない。
でも。
この力は、相手の思いをねじ曲げるもの。
ザクの意見を無視しても、願いは成就させなくてはならないのに。
彼が、文明を護りし者《ミューズ》の力の及ばない存在であるならば、なおさら。
なのに。
「……?フェミア、大丈夫かい?」
理性と感情の間で揺れ動く気持ちが顔に出ていたのだろう。ザクは心配そうな眼差しを向けてくる。
重大な使命が有るというのに。
ザクのことが、愛おしい。
全てをかなぐり捨てて、彼の胸へ飛び込んで行きたいくらいに。
いつから、こんな温かい想いが生まれたのかは解らない。
彼が笑顔なら嬉しいし、悲しい表情をしているならその原因を取り払ってあげたいと思う。
ずっと彼の隣で。彼のことだけを考えて。普通の幸せをかみしめていられれば、どんなに素晴らしいだろうと思う。
でも。
身に負った使命を捨てることは出来ない。
この願いを叶えなくては、不幸になる人が増えるというなら。
愛おしい人を守ることが出来るというなら。
自身の幸せなんて、ちっぽけなもの。
だから。
大丈夫よ、と自分に言い聞かせるように微笑んで、フェミアは言葉を継ぐ。
「魔術具は、遠隔操作システムを利用できない人が、元素操作装置《フルメタル=アルケミスト》を使うために作り出した、リモコンみたいなものね。このルール・フラグメも大ざっぱに言えばリモコンなのだけれど」
机に置かれた金縁の片眼鏡が、昼下がりの陽光を反射して輝く。
「フルメタル=アルケミストのリモコンじゃないなら……ミューズの?」
フェミアの言葉を先読みして、ザクは問いかける。
優しい彼の姿に、心が痛む。
「そう。その特異性ゆえに外部からの干渉などあってはならないミューズに、接続して改変することが出来る兵器。物によって干渉レベルが異なるのだけれど、完全なルール・フラグメなら、人の意識も世界も、何もかもを支配できる」
「だからフェミアはそれを回収したんだね」
エルフは人間から《森の大賢者》と呼ばれている。それはエルフが古くから、人間の起こす問題や諍いを多く解決してきたからだ。エルフが世界の危機を回避しようと行動するのは当然と考えるのは妥当だろう。
納得がいったという顔をしているザクに、フェミアは悪戯が見つかった子供のような表情を向ける。
「ルール・フラグメを作り出したのはコボルト族なの。そして、彼らにミューズにまつわる情報を教えてしまったのは、私たちエルフ。世界の危機を救うとか、森の賢者と呼ばれているからとかじゃなくて、汚名をすすぐために必死なだけなのよ?」
だとしても。と、ザクは柔らかく微笑む。
「過去の失敗を取り戻すために行動することって、なかなか出来ることじゃないと思うよ」
紫眼の力で彼と繋がっているから。彼の気持ちを感じることが出来る。
彼の中に渦巻く罪の意識に、涙が出そうになる。
あなたのせいではないのに。そんなに自分を責めないで。
「……フェミア?」
困惑したザクの表情。
心が制御できない。彼を安心させてあげたいのに、笑顔を作ることが出来ない。
声が、震える。
「ザクのせいじゃないの。グランバニアが滅んでしまったのは、ミューズのせいなの。ミューズが、そうなるように仕向けたことなの」
ミューズとは、人の潜在意識を操作するもの。
ミューズとは、気候、地殻を操作するもの。
ミューズとは、人の文明レベルを操作するもの。
聡い彼ならば、その可能性に気づいていただろう。グランバニアに最後の一撃を加えたのは、敵対関係にあったエルフでも、ザクでもない。王を失って混沌としている最中に起こった大地震、そして火山の噴火。それらがグランバニアの人間を、ザク一人残して、この星から消し去った原因なのだ。
「グランバニアの人は、ザクと同じ様にミューズの干渉を受け付けない、ミューズに耐性がある人種だったの。ミューズに耐性がある人間が増えれば、人類を管理することが出来なくなる。だから、グランバニアのことは全てミューズのせいなの。だから、あなたがそんな顔をする必要は無いの!」
紫眼の力で語りかければ、誰も抗うことは出来ない。
それなのに。
「真実はそうなのだとしても。俺は、自分の犯した罪を背負っていたいんだ」
ミューズに耐性のある彼の心の奥までは、届かない。
紫眼の影響を受けない彼が好ましい反面、こういう場合に限ってはとても悲しい。
「俺の心配をしてくれたんだよね?ありがとう」
だから泣かないでと、彼は優しくフェミアの手を包み込む。
「ザク……」
彼の手の温かさと、心の温もりで、悲しみが癒されていく。
心が、落ち着く。
「私こそ。ありがとう」
「じゃあ、今度は、どうしてフェミアの声が聞こえるのか教えてよ」
フェミアの気持ちが静まるまで、黙っていてくれたザク。彼はフェミアのお礼に笑顔を向けると、何事もなかったかのような口ぶりで質問を投げかけてくれる。
それに感謝しつつ、フェミアは応じる。
「ルール・フラグメと同じ原理ね。ここにあるのは、人の来歴と行く末しか見れない複写版だけれど。ミューズを経由して、ザクの無意識の領域に直接語りかけているの。無意識の領域だから、普段なら意識には上らないんだけれど。『目の前で話しかけている』という情報によって意識に引き上げられるみたい」
フェミアの答えに、引っかかりを覚えたようで、ザクは首を傾げる。
「俺はミューズに耐性があるんじゃなかったっけ?」
「そう。ザクは、ミューズの影響を受けない《枠組みの外の人》よ。でも、《枠組みの外の人》でも一時的にミューズに接続する方法があるの。それが、紫眼の者の血」
先程ザクに手当された手をヒラヒラと揺らす。
「紫眼の者は、《枠組みの外の人》とは逆に、ミューズに干渉する力があるの。さっき外した金の腕飾りは干渉する力を押さえる道具なの」
そういうことだったのかと、納得すると同時に、ザクは再び疑問符を浮かべる。
「え……紫眼ってことは、じゃあ、ルルもミューズを自由に使えるってこと?」
本当なら驚いてもいい事柄なのだが、彼は冷静なまま問いかける。それは、力を行使する紫眼の人間が「理解して欲しい」と思っているからなのだが。
「能力としては使えるわ。でも、ルルはミューズの存在も知らないみたいだし。皇子だから、回りの人が言うことを聞くのが当たり前の環境で育っているし。友人であるザクも、ミューズの影響を受け付けないし。兄妹はみんな紫眼だから作用しないし。だから、他人の意志を操る程度で、それ以外の危険な力の方には気づくことはないと思うわ。それに、私のと同じ制限装置を付けてるから、大丈夫よ。今は」
「今は?」
視線を落としてフェミアが呟いた言葉が気に掛かったのだろう、ザクは聞き返す。
「ええ、今は。私たち《紫眼の子供たち》は、種族は違うけれど、父親は同じ人間なの。紫眼の覇王と呼ばれた彼も、やっぱり紫眼の能力を持っていて、その力で覇王になったのだけれど。その子供たちは、ただ一人の例外もなく、みんな紫眼の能力を受け継いだ。子供の子供も、紫眼の力を発現することが示唆されているわ」
ねずみ算式に紫眼の能力者が、ミューズを自在に操れる人間が、増えていく。
「ミューズの力って、意識的に使うものじゃないってことだよね?」
ザクは、金の腕飾りに視線を落として確認する。
「無意識に使ってしまうから、こういうものが必要ってことだよね?」
そして、彼は正面に座るフェミアを真剣な目で見つめる。
彼はもう、その先にある問題に気づいてしまったのだろう。
そして、フェミアが何を望んでいるのかも予想しているのかもしれない。
ルルが彼のことを「脳みそまで筋肉」と呼んでいたのが嘘のように、彼の思考は柔軟で。恐ろしいほどに鋭い。
「紫眼の人が、世界よ滅んでしまえ〜と思ったら、ミューズ由来の異常気象とか地殻変動とか起こったりするのかな?」
「するわ。今はまだ、政情が安定しているからそういう思考に陥る人はいないと思うけれど。代を重ねればいずれ、紫眼の力で世界が滅びる日が来る」
将来を暗喩するかのように、流れてきた厚い雲が太陽の輝きを遮る。吹く風もどこか冷たい。フェミアの心情に呼応して、一雨来るのかもしれない。
「フェミアの『協力して欲しいこと』って、ミューズを破壊することで合ってる?」
フェミアが頷くと、
「そっか。俺で役に立つか解らないけど、もちろん協力するよ」
隣町に買い物に行くくらいの気軽さで、ザクは言う。
フェミアの表情は、空模様と同じく、晴れない。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい」
遠くで、雷が鳴る音がする。
「ミューズに耐性がある人間じゃないと、ミューズの干渉を受けてしまうから。だから俺を選んでくれたんだよね?君の役に立てるなら、俺は何だってするよ。フェミアの笑顔が好きだから」
優しい表情。温かな言葉。
彼の心からのものなのか、紫眼が言わせたものなのか、解らない。
「それでも。ごめんなさい」
フェミアの頬が濡れない代わりに、空が泣き出した。



少女には見えていた。
ミューズによって導き出された仮の未来が。
そして、願う未来に続く道筋が。

少女は願う未来を手に入れるために進む。
その先に、悲しみが待っていると知っていても。



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