「マーケット」


「…俺は人攫いして来いとは言ってないけど?」
たくさんの色があふれる、さながらパレットのような活気あふれるマーケットの一角、飲食街に彼らは居た。
どこの街でも目立つ彼の黒マントも、ここでは霞んでしまう。
「こいつが勝手に付いて来ただけだ」
傍らに居る少女を顎で示して言う。
少女は、マーケットに来るのは初めてなのか、大きな目を目一杯見開いて辺りを見回している。
「条件はクリアだろう?さっさと教えたらどうなんだ」
不機嫌に彩られた表情を隠さず言う。
先に進まないやり取りにイライラしているだけではなく、彼から受ける夜のイメージそのままに、彼は賑やかなのが好きではないらしい。
黒曜石色の髪、深い紫の瞳、漆黒のマント。静の色で彩られた彼に対して、彼に睨まれても臆することなく飄々としている男は、緩やかにウエーブした焦げ茶色の髪、新緑と同じ色の柔和な目をしている。
「…ケット・シーかな?」
ひと目で人外の存在だと解る、獣の耳を生やした少女の目線に合わせて、尋ねる。
「俺はザクというんだけど。良かったら君の名前を教えてくれないかな?」
話しかけられて、道の反対側で売られるポップコーンから視線を目の前にしゃがんだ男、ザクに戻す。
嘘偽りの無い優しい微笑みに迎えられて、少女は戸惑い、傍らの青年を仰ぐ。
彼は面白くなさそうに、そっぽを向いている。
「私は…ナリといいます」
「よろしくね、ナリちゃん」
おずおずと答える少女に、優しい目と手を差し出す。
すぐに握手だと気付いて、ナリは手を重ねる。人柄の印象と同じで、彼の手は優しくて暖かかった。
「もしかしなくても、彼の名前は知らない?」
「はい。何度聞いても教えてくださらなくって」
やっぱり。
ザクは立ち上がる。
2人並ぶと、コントラストが明確になる。
まるで白の騎士様と黒の皇子様みたい。
母に教えられた伝説の勇者たちを目の前で見ているような感覚。もしかしたらと思ったが、すぐにその考えを払拭する。あの伝説は四百年前の話だ。
「ルル。巻き込まないように名前も教えなかったみたいだけど、手遅れみたいだよ。気付いてるだろう?」
柔和な目は、戦う者の目に変わっている。
「そのようだな」
彼らの間で以前取り決めた合図を出し、ルルはマントを翻し、走り出す。
後は四人…いや、五人か。
残った刺客たちの気配を正確に読み取り、ザクは取り残されたナリの手を取る。
「ここは危険だから、ちょっと移動するよ。ルルとはすぐに会えるから心配しないで」
高度な知識と獣の感覚の両方を持ち得るケット・シー故に、向けられる殺気に気付いたらしく、素直にうなずく。
「じゃ、失礼して」
「ええ!?」
軽々とナリをお姫様抱っこして、ザクは人ごみの中に飛び込んだ。



back  next